異呆人

毒にも薬にもならない呟き

「リベラル」とは?ついでに棄権や白票のもたらすものについて

週末は選挙である。

いつもは不在者投票で済ませることが多いのだが、今回は逆に不在者投票をする暇がなく、当日に投票に行くことになった。

たぶん妻と行くことになる。

妻はこれまでは、いつも同居していた義父と一緒に行っていたらしい。

田舎だから、別々に投票に行って「お父さんと一緒じゃないの?」なんて言われるのがめんどくさかったらしい。

妻は妻で投票先をいろいろ考えているようで、ポストに投函される選挙ビラなんかを真面目に読んでいる。

きちんと考えるのは良いことである。

私は妻と政治の話はしない。

私がそれっぽく話すと、たぶん妻は流される。

自分で考えて自分で決めたらいい。

少なくとも今の日本では、妻の投票先一つで大勢は変わらない。

 

閑話休題

最近、選挙の話でとても気になることがある。

「リベラル」という言葉の使い方である。

これはネットやマスメディアでも、ちょこちょこ指摘されている。

「リベラル」というのは、国家や社会でなく個人が自由に意思決定することを重んじる自由主義を指す。

あるいは経済的に言えば、国の干渉を最低限にし、個人が自由の経済活動を重視する「小さな政府」を目指す立場を指す。

日本では主に「穏健な改革勢力」を指してきた。

その日本流の使い方をしても、最近の「リベラル」という言葉の使い方はちょっといただけないのではないかと思う。

まかり間違っても、「保守」が「右派」、「リベラル」が「左派」を指すわけではない。

「穏健な改革勢力」と言えばそうなのかもしれないが、「リベラル」勢力に共産党が一括りにされることに甚だしい違和感を感じる。

パン屋の軒先に握り寿司を見かけたくらいの違和感である。

 

世論調査などでは、与党が概ね優勢であることが伝えられている。

小池さんが民進党の「リベラル」勢力を「排除」したことで、野党が分裂してしまったことが原因と見る向きが多い。

確かにそうだとも言える。

だが政治的思想に基づいて選挙協力するのでなければ、それはただの烏合の衆だし、思想信条の近い人と共に選挙を戦うことにしたことは悪いことではなかったと思う。

問題だったのは「排除」という、いかにも狭量な言葉を使ってしまったことにある。

民意に敏感な小池さんらしくもない。

大勢有利と見て、強気に出たのが裏目に出たか。

いずれにしても「覆水盆に返らず」である。

最近は世論調査にもブレが出ているので確かではないだろうが、与党が勝つ流れにはなっているだろう。

 

私はまだ投票先を決めかねている。

syuten0416.hatenablog.com

そう言えばこの記事では、私は共産党などを「いわゆる」付きでリベラルに一括りにしているなぁ。

ともかく、白票も選択肢の一つとして検討中である。

白票や棄権を推奨している人たちもいるらしい。

また反対に、それらに反対の人たちも多い。

私は選択肢の一つとして、白票や棄権は構わないと思っている。

ただし、それがもたらすことは知っておかなければならない。

 

白票も棄権も、もたらす結果は同じである。

白票を入れたところで無効票としてカウントされるだけで、何にもならない。

棄権しているのと変わらない。

投票率が上がるかどうか、というだけである。

何かが訴えられるわけではない。

そして白票や棄権は、結果的に勝っている第1党を利することになる。

つまり現状では、自民党に票を入れているのと変わらない効果が出てしまう。

だから本当に安倍さんが嫌だったり、自民党が嫌いだったりするなら、白票を投じたり棄権したりしてはいけない。

野党に投票するのとどちらが嫌かを判断しなければならない。

 

ちなみに、私が今回の選挙で気にしていることは2点だけである。

憲法に対するスタンス(改憲派

・消費税に対するスタンス(増税派)

それ以外のことは五十歩百歩だと思っている。

この2点に関して私のスタンスと同じなのは、実は自民党しかない。

でも、今の安倍さんの国会運営の仕方には異論がある。

また憲法改正についても、安倍さんのようなかなり右寄りの人と、私の考えるものとは開きがあると思っている。

だからいまいち、積極的に自民党に投票する気になれない。

安倍さんを降ろすなら自民党に投票してもいいと思えるくらいである。

こういう風に考えているから、白票でもいいかと思っているのである。

他の政党に投票するくらいなら、自民党への投票もやむなしと考えるから。

棄権や白票を考えている人は、それがもたらす結果についても十分に考えてほしいなと思う。

2017 富士ステークス、菊花賞 〜予想〜

富士ステークス

◎:6エアスピネル

◯:11グランシルク

▲:5ペルシアンナイト

△:15イスラボニータ

☆:7マイネルアウラート

 

近年は固い決着だが、以前は荒れることの多かった芝のマイル重賞。

春のマイル戦線を賑わしていた古馬に3歳馬が加わり、面白いレースにはなりそう。

データ的には5歳以下の馬が優勢だが、それ以外はあまり当てにならなさそう。


本命はエアスピネル

前走の札幌記念は直線で良い位置にいながら最後伸びなかった。

札幌の芝が合わなかったのかもしれないし、大外枠が影響したかもしれない。

これまで戦ってきた相手を考えても、ここは勝っておいてほしいところ。


対抗はグランシルク。

前走の京成AHは、なかなか勝ち切れない競馬から一皮剥けたような完勝。

雨予報の週末、重めの馬場も苦にしないこの馬なら期待できそう。


単穴はペルシアンナイト。

前走のダービーは明らかに距離の問題で、陣営もそれを踏まえて菊花賞ではなくここを選んだのだろう。

重馬場で荒れたシンザン記念でも3着に入るあたり、地力は確かでここでも期待が持てる。

久々なので印は下げた。


データ的に年齢が気になるが、イスラボニータはこのメンツなら実績上位。

鉄砲も効くし、鞍上も引き続きルメール騎手なら切れない。


穴馬探すならマイネルアウラートだろうか。

近2走は大敗しているが、どちらかといえば使うほど良くなる馬。

昨年も夏の関屋記念までは大敗だったが、10月に入ってから良くなり、富士Sも4着と健闘した。

オッズ次第かな。


レッドアンシェルも気になるが、人気次第で考えようかと思う。

メンバーと近年の傾向を踏まえれば、今年も固く決まるのかなという気がする。



菊花賞

◎:16アルアイン

◯:12ミッキースワロー

▲:13キセキ

△:15ダンビュライト

△:8サトノアーサー

☆:5トリコロールブルー


3歳馬の頂点を決めるといっても過言ではないG1。

しかしながらレイデオロがいないので、いささかパッとしない感じはする。

去年の記事を見てると、G1が取れないとか嘆いてた。

そう考えると、1年で結構成長したんじゃないかと思える。

データ的には前走3着以内(神戸新聞杯なら4着以下可)、鞍上継続騎乗は抑えておきたい。

あとは馬体重が480kg以上が良いとか、夏場に馬体重が増えて成長している方が良いとか、前走の上がりタイムが2位以内が良いとか、いろいろ。

近年は内枠(4番以内)が良いようだが、今年は内枠の馬は買えないかな。


本命はアルアイン

例年、G1好走組が良いのだが、今回は当てはまるのがアルアインとダンビュライトだけ。

今年は例外と見ることもできるが、休み明けの前走セントライト記念で2着だったことを考えれば、ここも勝ち負けできるだろう。

日曜の京都も雨予報だが、重馬場を2戦走っていることもプラス評価できると思う。


対抗はそのアルアインに前走で圧勝したミッキースワロー。

末脚は確かで、上がり最速を出しているレースも多い。

しかし勝ったり負けたりと成績が安定しないのが気になる。

急に良化したと捉えていいものか。

鞍上のせいだったと言われれば身も蓋もないが。


単穴はキセキ。

こちらもミッキースワロー同様G1臨戦組ではないが、前走の神戸新聞杯レイデオロより速い最速の上がりで2着だった末脚を素直に評価したい。

気になるのは、結構コンスタントに走っていること。

夏場しっかり走ってここが4戦目。

疲れている可能性を考慮して印を下げた。


ダンビュライトは前走の神戸新聞杯は4着だが、大敗ではないし休み明けなので、そこまで悲観するほどではないだろう。

皐月賞ではアルアインと0.1秒差の3着、ダービーでも前のアルアインと0.1秒差。

アルアインを本命に推すなら、こちらも評価しておきたい。

渋った馬場での実績が多いのもプラス評価できる。


サトノアーサーは前走の神戸新聞杯を3着。

パッとしないが、こちらも休み明け。

二桁着順だったダービーは進路がなかっただけなので、軽視するのは禁物だと思う。


他、実績や乗り替わりを理由に切りたい馬が多い中、面白いかと思うのはトリコロールブルー。

前走の条件戦はクビ差の勝利だが、体重が+32kgだった。

成長分+太め残りだったと考えれば、臨戦過程こそ異なるが、ひと叩き入ったここは可能性があるかもしれない。

戸崎騎手も乗り替わりだが、2度跨っているので知らぬ馬ではない。


なんだか人気しそうな馬ばかり印をつけたが、実際それ以外は手を出すのが難しそう。

もう少し考えたいなとは思う。

今週末は休日出勤もないことだし。

私たちは身体で世界と繋がっている

今週のお題「行ってみたい場所」

 

行ってみたい場所なんてないなぁと思って記事を書かないでいたら、「なんとなく行ってみたい場所」があったことを思い出した。

養老天命反転地 | 施設案内・マップ | 養老公園

http://www.yoro-park.com/facility-map/hantenchi/img/im-hanten-08.jpg

 

美術家(と言ったら本人は怒るのだろうか)の荒川修作氏とパートナーのマドリン・ギンズ氏が作った公園。

「死なないため」に五感を刺激する、というよくわからない思想の下に作られた施設で、最近ではアニメ「聲の形」の中で描かれたり、フォトジェニックだったりするので有名になっているようだ。

荒川さんはぶっ飛んだ変人みたいなので、たぶん彼の思想を理解しようとすることは、一般の人には意味がないと思う。

あの岡本太郎氏の弟分だそうで、もうそれだけで芸術が爆発してそうな感じがする。

 

ともかく、出来上がったこのテーマパークのような施設は面白そう。

荒川さんがどこまで意図したかはわからないが、この施設が認識させてくれることも興味深い。

養老天命反転地は、五感を刺激し続けるために、錯覚や不安定さを積極的に取り入れている。

つまり、人間と世界が身体を通して接続されていることを認識させてくれるようになっている。

世の中には魂だなんだと言う人がいるし、ともすれば自分自身も観念的に物事を考えがちだが、身体が世界と個人との接点であるということは覆しようのない事実である。

 

またそれと同時に、個人の認識・感覚というのは、実際に世界がどうあるかとまったく同じではない。

錯覚が代表的だが、私たちの認識と世界のあり方が異なることはしばしばある。

あるいは、人間には聞こえないが犬には聞こえる音、人間には見えないが昆虫には見える色があったりする。

世界というのはただそこにあるだけで、それをどう認識するかは個々の問題であり、認識されたそれが正しいかどうかはまた別の問題なのである。

感覚を頼りにしなければならず、同時に感覚に全幅の信頼を置くこともできない。

私たちはそんな風に不安定な形で世界と繋がっているのだ、ということである。

 

それを肌感覚として教えてくれそうなのがこの施設で、前々から行ってみたいなぁと思っている。

が、岐阜の養老にあるので、なにせ遠い。

ちなみに、東京の三鷹にもこれの住宅版が出来ている。

こちらの方が私の住む所からは圧倒的に近いので、機会があれば行ってみたいと思う。

www.rdloftsmitaka.com

新人研修をする社員の研修

10月から営業職として新入社員が1人入ってきた。

中途入社で、私より歳上の男性である。

私は管理職ではないので部下ではなく、歳上の後輩といった感じだろうか。

歳上にあれこれ教えるというのはやりにくいのだろうかとも思ったが、すごく良い人だったし、そもそも私自身が年齢とかあまり気にするタイプではなかったことを思い出した。

社会通念上、あるいは形式上、歳上に対して敬意は払うが、「年齢」とか「肩書」とかの「何であるか」という属性は、瑣末なことだと思っている。

その人に何ができるか、ということの方が大切だ。

 

新人研修は前回の社員から、私も一部担当している。

ただしメインでサポートする役ではなく、特定の科目だけ教えるようなものである。

新人に付いて教える役は、他の後輩が担っている。

その後輩たちの研修は、私は一切関わっていなかった。

当時は今以上に出張が多くてほとんど会社にいなかったので、物理的に不可能だったからである。

だから私は、今の会社ではメンターのような研修係はやったことがない。

一緒に仕事をする中で、折に触れていろいろ話をする程度である。

 

前回も今回もそうなのだが、教えている側の後輩から質問を受ける。

人に教える段になって、改めて知らないことに気づいたりするようだ。

それこそ研修係になることの効果であり、私より後に入った社員に研修させる狙いである。

知らないことは悪いことではない。

いや、厳密には仕事を進める中では知っておかなければならないのだが、知ったかぶりをしたまま仕事を進めるよりは余程良い。

「慣れ」というものは思考停止を招く。

知らなくても、形だけ真似していれば、仕事は進められるからである。

 

だから私は彼ら彼女らに教えるとき、「なぜそうするのか」といった理由や背景から説明するようにしている。

それが仕事の本質を理解するために必要だと思うからである。

普段何気なくやっているルーティンのような作業にも、本来は意味があるのだ。

それを知ることで、その作業のどこに注意すればいいのか、どこは適当で大丈夫なのかを知ることができる。

本質から逸れた部分に力を割くことは非効率である。

また、それをさせられる人間のモチベーションを下げる。

 

そうやって思考の棚卸しをするように教えていくことは、研修担当だけでなく、さらにその研修担当に教える私にとっても役に立つ。

私だって、常からすべての作業の意味を意識しながら仕事をするわけではない。

中には「何でこの作業をやってるんだろうね」と、自分で思ってしまうものもある。

そういう作業を見つけたとき、業務効率化のために廃止したり、やり方を変えるように上司に進言するのが私の役割である。

管理職は現場の作業の一つ一つには目を配れない。

会社が良くなるためにも、自分たちが楽をするためにも、そういうことはボトムアップでどんどん投げていけばいい。

それに耳を傾けるかは上司の度量次第であり、それが実現されるかは上司の力量次第と言える。

 

いろいろ後輩たちに話をする中で、私も長く居る人間になってきたのだなと実感する。

今の会社に来てまだ5年程度なのだが、歴史が10年少ししかないのでそうなってしまう。

主力商品の販売開始からは7,8年である。

当初は親会社からの出向社員が多かったのも、今は自前で採用した社員が大多数になった。

私は最初期のプロパー社員になる。

決して明るい未来が描ける会社ではないが、今回は沈むなら沈むで最期まで成り行きを見守ろうと思っている。

いやもちろん、さっさと安定した会社になってくれることが一番だが。

視線の先に

昔からよくボーっと考え事をする。
何を考えているかというと、まさにこのブログ記事のような取り留めもないことや、その状況にまったくそぐわないことを考えている。
だからそんなところを誰かに見られ、「何考えてるの?」と言われても返答に困るというか、答えたくないようなことを考えていることが多い。
空想は自由である。
頭の中では何を考えていても許される。
表現すると他者に影響を及ぼしたりもするが、考えることで影響を受けるのは自分自身だけである。
だからボーっとすることが好きだ。
ボーっとすると言っても何も考えていないわけではないし、「黄昏てる」などと言われることもあるが、そんなセンチメンタルなものでもない。

ただしこれには困ることが一つだけあって、たまにその視線の先に何かがあったり、誰かがいるのである。
こちらは視線の先を眺めているわけではない。
自分の脳裏に浮かぶ光景を眺めているだけだ。
しかし黙ってじっと視線の先を見据える体勢は、見つめていると誤解されても仕方がない。
小学生の頃、たまたまその視線の先に女の子がいた。
他意はなかったが、どんなに言い訳をしても、むしろ言い訳をすればするほど、私はその女の子のことを見ていたと思われてしまう。
最終的にその誤解が解けたのかどうかは知らない。
ただ、ボーっとするときは気をつけた方がいいという教訓は得られた。

しかし気をつけると言っても、気づいたらボーっと考え事をしているので防ぎようがない。
先日もボーっとしていた視線の先に女子高生がいた。
学生が年頃の異性を眺めているなら、可愛かったり青春だなと思ったりするかもしれないが、オッサンが女子高生を眺めていたら不審者に思われかねない。
幸い、そのときは何とも思われていないようだった。
やはりボーっとする場所は考えた方がいい。
だがよく考えると、心置きなくボーっとできる場所など、そうないことに気づく。
家には妻がいるし、仕事中はそんな暇などないし、通勤途中などは周りに人がいる。
一人の時間は限りなく少ない。

新卒で入った会社で、社内報に新入社員全員が自己紹介を書くとき、「なくては生きていけないもの」という質問項目があった。
「白米」とか「音楽」とか、皆それぞれ好きなものを書いている中、私は「一人で過ごす静かな時間」と書いていた。
空気はあえて読まなかった。
それが偽らざる本音であった。
今の私には、その「なくては生きていけないもの」が足りないのかもしれない。
心置きなくボーっとしていたい。
ボーっとするためだけに「精神と時の部屋」がほしい。