異呆人

ノンフェータルなペシミズム

適材適所

4月以降の営業担当の割り振りが発表され、私はほとんど取引先を持たないことになった。
数年前は西日本全域を1人でカバーしていたものが段階的に減らされ、今は九州と関東の一部だけになっているのだが、今度は九州も手放すことになった。
残っている取引先も私が主の担当ではなく、いわば主担当のアドバイザー的ポジションとして残されているようなものである。
かねてより管理部門で使いたいと言われていたのだが、4月から会社の組織形態が大きく変わるので、これを機にその通りになったということのようである。
特に今、自分が中心となってタイトなスケジュールで組織変更の手続きを進めている中で、やはり私は外に出すより中で使った方がいいと判断されたのだろう。
その判断に異論はない。

ただ一抹の感傷はある。
ほとんど担当を外れるということは、営業でなくなるということである。
私の10年ほどのサラリーマン人生は、会社を渡り歩きながらもずっと営業職だった。
ろくにやっていない就職活動の当初は、ノルマに追われる営業職は嫌だなと思っていたものだが、面接を重ねる中で自分のコミュニケーションスキルが意外と通用することを思い知り、思い切って営業を志望したことがきっかけだった。
やってみるとやはりノルマは嫌なのだが、自分のスケジュールは自分で組み立てる自由度の高さ、裁量の大きさが自分に合っているなと思った。
まぁこの辺りは業種や企業によって違うかもしれないが。

私は自他共に認めるオールラウンダーなので、たぶん何をやってもそこそこ上手にできる。
代わりに突き抜けない。
だから今回の差配も、私が管理部門の方が向いているということは間違いないのだろうが、「管理部門に向いている人が少ない」からその仕事をするだけだとも思っている。
私個人の意見としては、どの仕事がやりたいというのはない。
以前どこかにも書いたが、私はサラリーマンは腕一本で生きていく傭兵だと思っている。
私が条件を飲んで雇われているからには、雇用主の意向を汲むのが当然である。
前線で戦わせたいか、後方支援や兵站管理でもさせたいかは、雇う側が決めればいいと思っている。
私が飲めない条件になったら辞めるだけである。

だから今、私の中に湧いてくるものはただの感傷でしかない。
今の会社の取引先のほとんどには何らかの形で関わっているし、3割くらいは私が開拓した取引先でもある。
それらが私より後に入った社員の担当となり、その後の様子を聞いたり、相談に乗ったりしている。
自分のやってきたことが正しかったか、十分だったかはわかりようもないが、形として残っていることは素直に嬉しい。
だからおそらくそういった活動を今後自分の手ですることがほとんどなくなるということは、緊張感からの解放もあるが寂しさも感じるのである。
つまりは、感傷。

新しい仕事は漠然としていて、まだはっきりとは決まっていない。
そういうことを差配する上司が、私が何度もこのブログで叩いている人間なので、たぶん実際に始めるまではわからないだろう。
とりあえず、この4月の組織変更に伴う書類対応、システム対応、監督官庁対応などの後始末が当面の仕事になりそうである。
それからずっと押し進めていた新部署の創設がいよいよ動き出すので、そちらの中心メンバーとしていろいろ1から関わっていくことになる。
こちらは既存の社員で賄わずにメンバーの採用から始める大掛かりな話になってしまったので、かなり骨が折れそうである。
もちろん前線は退いても営業のバックアップはするし、案件によっては私が関わる新規開拓もあるらしい。
つまり何でも屋。
こういうとき、ワクワクする人間ならいいのだが、残念ながら私はめんどくさいなぁという気持ちの方が先に立つ。
しばらくは出力を落とす暇がなさそうである。

湘南ライナーで通勤してみた

妻の出産後、一家で義理の実家に一時的に移り、そこから通勤している。

義理の実家には義父が一人暮らしをしているのだが、非常に寂しがっており、将来的な同居の提案などもやんわりされている。

だから今回の一時的な同居は、将来的な完全同居の可能性も含めたトライアルでもある。

私としては同居が良いとか嫌だとかはない。

義理の親との同居が不自由ではないかという意見もあるが、それをいえば結婚そのものが不自由であり、つまり私は意図的に不自由を選択しているわけで、それに多少のオマケが付こうが気にするほどではないというのが今のスタンスである。

ただ物理的に困るのが通勤である。


私は普段、JR東海道線を使って神奈川は湘南エリアから通勤している。

東京の職場までは駅から駅で1時間15分程度。

周囲の人間からは「大変じゃない?」とよく言われるし、実際、楽ではないが、その辺りから東京に出勤している人はたくさんいるし無理をしているとは思っていない。

義理の実家も同じ東海道線沿線ではあるのだが、しかしこちらは距離がまるで違う。

ほとんど熱海あたりから通勤するのと変わらない。

駅から駅で通勤時間が倍近くかかる。

これはもう私がどう思おうと、誰がなんと言おうと、遠い。

しかも1日2日ならともかく、同居となると毎日である。

仮に同居となるなら、もっと職場の近い会社に転職することすら考えるレベル。

ただ、義理の実家のあるあたりは失礼ながら田舎で仕事は多くない。

少なくとも、転職して現在と同じくらいの待遇を期待することは難しい。

今現在がそんなに高給取りではないけども。


そんなわけで、一時的な同居にあたっても、もし完全に同居するにしても、通勤が課題となるのである。

当初は新幹線通勤でもすればいいのではないかと思っていた。

完全同居なら家賃がかからないので、それくらいできるかもしれないと思っていた。

しかしやはり新幹線は高い。

新幹線定期でも東京ー熱海が3ヶ月で24万円超。

うちの会社の交通費支給の上限を考えると、14万円/月ほどの自己負担が生じる。

さすがにこれをのめるほどブルジョワジーではない。

そこでそれならと利用を考えたのが湘南ライナーである。

湘南ライナーというのは東海道線を走っている通勤特急のようなもので、乗車券料金にプラス500円することで乗れる。

乗車券が必要で座席が確保されているため、混雑する東海道線でありながら座って通勤できるのがウリである。

これなら交通費上限の超過分を踏まえても、2〜3万円/月で済む。

ということで、物は試しと使ってみることにした。


湘南ライナーの乗車には乗車券が必要。

券売機の場所は駅によって異なるらしいが、小田原駅の場合は改札入ってすぐ右手側に専用の券売機があった。

下の写真が乗車券。

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写真撮るのヘタクソマン。

さておき、湘南ライナーは主に特急「踊り子」などの車両を用いて運行されている。

JRからしても、遊んでいる車両を上手く活用することができるのかもしれない。

下の写真が私が乗ったときの車両。

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電車はあまり詳しくないが、私の中の「踊り子」のイメージは白地に緑のラインなので、それよりは少し新しい車両なのだろうか。

ダブルデッキで座席が2つずつ向かい合う形で設置されていて、座席の回転はできなかった。

向かい合う形なので少々足元が狭い。


乗り心地は快適だった。

普通の在来線であれば、席に座っていても混雑してくると圧迫感がある。

湘南ライナーであればゆったりしている。

揺れも少ないので尻へのダメージも小さくて済む。

あと、やっぱり速い。

途中駅をガンガン飛ばすので。

気になったのは、東海道線ではなく横須賀線の線路を走っていたらしいこと。

東京ー大船の区間東海道線横須賀線が一部並走していて停車駅もほとんど同じなのだが、横須賀線はトンネル区間が多く、東京駅は地下深いホームに到着するなど降りる場所が異なる。

特にトンネルが多くて所々電波が圏外になることは、通勤ゲーマーの私にとっては問題がある。

もしかしたら乗る車両や走る路線は、どの時間のどの駅発の電車なのかによっても違うのかもしれない。


とりあえず一度乗ってみて思ったことは、小田原あたりから乗るのであれば、あまりメリットはないなということである。

特に小田原以西から乗ると乗り換えも考慮しないといけないので、時間が5〜10分程度しか変わらない。

座るのはその辺りから乗ればずっと座れるので、乗り心地の違いしかない。

1回の乗車にワンコイン払う価値があるかと言われれば微妙。

藤沢や茅ヶ崎あたりから乗車する場合は、在来線だと座れないことがほとんどなので、座るためにワンコイン払うと思えばアリかもしれない。

まぁ個人的にはそれでも微妙だけど。


というわけで、なんの時短方法も見出せず、2時間半の通勤ライフを満喫している。

最近は仕事が終わるのも遅いので、5時に起きて6時に家を出て、8時半に職場に着いて20時まで仕事をし、22時半に義実家に着くというループをしている。

22時半に帰ってから飯を食う気にはなれないし、ゆっくり食べて帰る余裕もないので、電車の中で夕食としておにぎりやパンを食べる日々である。

まぁ、仕方ない。

当初は義実家にいるのは出産後1ヶ月の予定だったが、私の仕事が忙しくて妻のサポートができないので、たぶんもう1ヶ月ほど延長される。

まぁ、仕方ない。

私は何をどうしても倒れたり鬱になったりできない人間なので、やれるだけやるだけである。

育児の大変さを体験してみる

妻が出産から退院して実家に移った。

私だけ今借りているアパートでしばらく一人暮らしをしてもいいのだが、妻の気持ちや将来的な同居を見据える義父の気持ちを汲んだり、折角の産まれて間もない時期を子と一緒に過ごせないのももったいないという気持ちから、片道2時間半かけて通勤することを選んでいる。
それについてのあれこれはまた別に記すとして、退院日が木曜だったのですぐ週末となった。
さっそく丸一日一緒に過ごす機会が巡ってきたので、出来るだけ子の世話に関わってみた。
 
妻は入院中に授乳の仕方やオムツの替え方、沐浴の仕方などを一通り教わっている。
私は20年近く前に弟のオムツを替えていたことがあるとはいえ、ほぼ若葉マークである。
なので妻に教わりながら携わった。
オムツ交換はすべて請け負い、母乳をやったあとにミルクも足すので、ミルクをあげるのも自分がやった。
一つ一つの行為は難しくないし、頻度が高いのも気にならない。
妻の妹や義父が家事をしてくれていることも大きかった。
だからやること自体がそれほど大変だとは思わなかったのだが、3時間おきの授乳だけは心底大変だなぁと思った。
 
土日は妻が授乳するタイミングに合わせて自分も夜中起き、妻が母乳をやっている間にミルクを準備して、ミルクをやったら概ねすぐに排泄するのでオムツを替えた。
ついでに哺乳瓶の消毒もやる。
そうすれば妻は授乳したあとすぐ眠れる。
これを1セットとして二人で繰り返していたのだが、やはりまとまった睡眠時間が取れないのは辛い。
眠いと意識が朦朧とするしストレスも溜まる。
ノイローゼや鬱になる人が出るのも頷ける。
家族のサポートがあり、仕事はしていない妻の状況でさえこうなのだから、そうでない環境で子育てをすることは簡単なことではないなと思った。
 
ただそれでも人類はこれだけ数を増やしてきているわけで、つまりその大変なことというのは多くの人ができていることでもあるわけで、だから子育てがいくら大変だとはいえ不可能なことではないとも思う。
子供が可愛いと思えば労苦も気にならないというのもある。
しかし家族構成や社会環境などは変わってきているし、同じ環境で他人が出来ていることであっても、出来ている人と比べることで自分自身が感じる辛さが和らぐわけではない。
だから育児が大変だなと思ったら、適切な相手に相談したりアドバイスを受けられるような環境がもっと充実すればいいなと思う。
適切な対応がわかるだけで救われることも多いのではなかろうか。
昔はそういうものは親や近所の人とかが教えてくれたのかもしれないが、今はそういう環境にいる人ばかりでもない。
妻も母を早くに亡くしていないので、ネットで調べたり病院に聞いたりしながら格闘している。
ただ本人がいくら努力していても、周囲が無理解であれば追い詰められてしまうこともあるだろう。
誰もが同じ環境に置かれているわけでもなければ、同じ能力を持っているわけでもない。
できないことをなじるようなことはあってはならない。
自分の経験ややり方を押し付けるようなことも同じ。
 
さておき、これだけ大変だと実感しておきながら、私は平日はまったく子育てに関われない。
私が所属しているような小さな会社は、幼子のいる社員を早く帰すような業務配分を組んだり、まして育休を取得させるようなことはできない。
働かななければ食っていけないし、私がハードワークする代わりに妻が仕事をしなくても何とかなっているという側面もある。
それもまた私固有の置かれた環境であり、比べても仕方ないことである。
とりあえず肩こりや足のむくみ、乳房の張りに悩む妻にマッサージをしたり、子が泣きぐずるときに抱いて少しでも妻が眠る時間を長くしたり、そういう出来ることだけをやっている。
子も大事であるが、妻も同様に大事である。
育児に力を入れ過ぎて、親が潰れてしまっては元も子もない。
無理はしてもし過ぎず、二人で楽しんで育児ができればなと思う。

忙しくて、春

せっかく子供が生まれたばかりなのだが、一向に早く家に帰れずにいる。

昨年中からわかっていたことではあるが、来年度は今いる会社が大きな転換点を迎えることになり、その準備で3月末までは忙殺される。

その転換点を迎えるにあたり、監督官庁とのやり取りがあったり、同業他社との調整があったり、期限の決められている中で非常にナーバスな仕事をしなければならない。

私自身は管理職ではないので、そういった難しい調整は自分のミッションではない。

決まったことを、いかにスムーズに進めていくか、というだけである。

ただ、元々はどちらかといえば一営業員としてその仕事にあたるつもりでいたが、何やかやとやっているうちに同僚と2人、中心メンバーとして関わることになってしまった。

 

平たく言えば、自分の担当取引先に対する作業をすると同時に、全体の作業を管理することになってしまっている。

決められた期限内に一大事を完了させるため、個々のタスクをいつまでに終わらせていけばいいのかロードマップを描き、そのスケジュール通りに進めるために誰に何をやってもらうのかタスクを割り振る。

皆「大変だ!時間がない!」とは認識しているものの、具体的に何をどうしなければならなくて、どこがネックになるかということが把握できていない。

スケジュール的にそこそこ危機的で、半ばパニックになるような状況に置いて、落ち着いて全体を見渡せるというのは確かに私の特長かもしれない。

いわばサッカーの司令塔的な役割で、多くのパスを一旦自分を通すことで、全体が円滑に動くように差配している。

逆に言えば、多くの仕事にひとまずは目を通さねばならず、それが忙しさの原因になっている。

すべての書類をチェックし、各営業員の質問に答え、懸案があれば解決策を一緒に考える。

イレギュラーは次々に出てくるし、考えなければならないリスクはたくさんあるし、最悪の事態も想定してあらゆる準備をしておかなければならない。

そういう状況では自分の仕事は後回しになるので、いつまで経っても終わらない。

 

もうかれこれ1ヶ月以上、取引先を訪問できずにいる。

というか、上司からも「できるだけ外に出ずに中で仕事を回してほしい。いないと無理だから」と言われている。

だからずっと社内に缶詰。

昼食もデスクでとりながら仕事を進めている。

夜は20時過ぎには終わるようにしているので、そこまで遅くまで仕事をしているという感じはないが、通勤時間を考えると家に帰り着くのは22時ごろになってしまい、飯を食って洗い物をして風呂に入ればもう寝る時間である。

それで翌日はまた5時過ぎに起きて弁当を作って出社するのだから地味に辛い。

なので最近はほとんど弁当も作らずにいる。

 

こんな状況で子供が生まれ、妻の退院日や諸々の通院日などは休みをとって送り迎えをしているので、なかなかにハードである。

休むために仕事を前倒ししたり、誰かにやってもらうために下準備したり、しわ寄せが来てさらに終わらなくなる。

おまけに妻が、子供が生まれて最初の1ヶ月は実家に移ることに決めたので、私も妻の実家から会社に通うことになった。

将来的な同居も見据えたお試し生活ということもある。

通勤時間はdoor to doorで1時間半から2時間半に延びる。

いろいろ工夫して通えないことはないと判断しているが、帰りが遅くなりすぎるときは今住んでいる家に帰ることになっている。

まぁこの生活も始まったばかりなので、どこまで続けられるかはまだわからないが。

 

どちらかと言えば、仕事としては現場で動き回ることより、戦略を考えたり全体の動きを管理したりすることの方が向いているのだと思う。

それは周りからも言われるし、自覚もある。

だから得意な仕事をできるかどうかのギリギリの量と重圧でこなし、自分の出力を空回りしない程度に抑えながらフル稼働させることに充実感はある。

こういうときはアドレナリンが脳内で大量に出ているだろうから、疲れは感じないし、むしろ活動にキレが増すような気配すらある。

ただそれが一過性のものであることは、若干の高揚の中でもきちんと認識できている。

そもそも私は仕事大好きなワーカーホリックではない。

働かなくても食べていけるだけのお金があるのであれば、好んで働こうとは思わない。

必要だから働くだけであり、必要とされるから働くだけである。

それが自分にとってのワークライフバランスの線引きでもある。

 

一大事が終わるまで、あと1ヶ月ほど。

まぁこの業務以外にも新しい部署の創設などにも関わっているし、今いる部署自体が大きく体制を変えることになるので、しばらくはとても落ち着きそうにない。

子供が生まれて、ブログに関しては書きたいこともたくさんある。

試しに、はてなブログをProにしてみようかとも思っている。

同僚とやっているバンドのギター練習もしなければならないし、次は2曲やることになって、片方はボーカルをすることになっている。

あぁ、忙しくて、春。

きっと、気づいたら、夏、になっていること請け合い。

そして父になり、しかしまだ父にはならない

先日、第1子が産まれた。

予定日より2週間ほど早かったのだが、母子ともに健康で何よりだった。

これで出生届を出してしまえば、戸籍上は私は父親ということになるだろうか。

もちろんと言うのもおかしな話だが、私にはまだ父となった実感はない。

出産に立ち会ったので子の出生の瞬間を見ることができ、感動したというか嬉しかったし、産まれた子を見て可愛いとも思うのだが、いわば一つのイベントが過ぎたというような感覚しかまだない。

たぶんこれから一緒に生活する中で、少しずつ父としての実感が湧いてくるのだろう。

よく「子に親にしてもらう」というような言い方がされるが、その通りなのかもしれない。

そういう意味では、私はまだ父であって父でないと言える。

 

陣痛が来たのは定期的な診察の翌日だった。

診察を受ける前に「おしるし」という出血があったらしいので、予定日はまだ先だが産まれるのはわりと近いかもしれないと妻は思っていたらしい。

ただ診察を受けてみると子宮口はまだ開いておらず、「1週間以内かな?」というような医師の話であった。

しかし診察の翌日の買い物で前駆陣痛のような不定期な腹の痛みがあったらしく、その旨が妻から私にLINEで送られてきた。

ちなみに私は今、仕事が忙しく、日中私用の携帯を見ている暇はないし、帰宅も毎日22時前後になっている。

その日は金曜日で「これは土日出社かな…」などと思っていたのだが、もしかしたらそんな状況ではないかもしれないなと、帰宅路にそのメッセージを読んでぼんやり思ったりした。

 

家に帰ってみると妻はベッドにうずくまった状態で、これが陣痛なのかそうでないのかと悶々としていた。

私は妻の痛みを代わりに感じてあげることはできないし、そもそも陣痛がどのような痛みなのかも知らない。

とりあえずまだ陣痛ではなさそうに見えたが、心配だったら病院に相談するように言った。

実際、痛みは間隔が短くなったり長くなったりで一定せず、妻も納得してとりあえず寝ようということになった。

だがどうも徐々に痛みが強くなってきて眠れなくなったらしく、私が寝ている間、夜中の3時ごろに病院に電話してみたらしい。

ただ病院からも「前日の診察で子宮口は開いてなかったし、まだ陣痛ではないと思うので様子を見ましょう」と言われたようだった。

しかしどうにも眠れる状態ではなかったらしく、私も4時くらいからは付き合って一緒に起きていた。

といっても、私には背中をさするくらいのことしかできないが。

 

結局、すっかり明るくなってからも痛みの間隔が伸びたり縮んだりしていたので様子を見ていたが、昼前になって動くのも難儀になるくらい痛くなってきたようだったので、病院にもう一度電話するように言った。

すると病院からは、「一度診察してみましょう。もしかしたら入院になるかもしれないので準備はしてきてください」と言われた。

妻も私も「たぶん診察を受けても、『もうちょっと様子を見ましょう』で帰されるんだろうな」という感じだったので、とりあえず妻だけ登録していたマタニティタクシーで向かわせて、私は家で昼食をとって待機することにした。

ところが診察を受けたら「もう子宮口が7cmまで開いているのですぐ来てください」と病院から連絡があった。

比較的珍しいそうだが、1日程度で急激に子宮口が開いたらしい。

電話を受けると、さすがの私も飛んで行った。

 

病院では妻が陣痛の痛みに悶絶していた。

この時ある程度までは、いきんではいけないので、それを止めるために肛門にテニスボールを押し当てるのがセオリーらしい。

なので、私はずっとテニスボール係だった。

笑っちゃうような方法だが、妻曰く「人生で初めてテニスボールの存在に感謝した」そうなので、効果は抜群らしい。

誰が最初に試したのか知らないが、人類の知恵の蓄積というのは大したものである。

そして、そのテニスボール係が3時間くらい続いた。

妻が一番大変なのは間違いないが、テニスボール係も力がいるので楽ではないと思い知らされた。

 

妻は鬱で服薬していたこともあるし、過呼吸で倒れたことも何度かあるので、万一陣痛の痛みで忘我になった時に緊急措置ができるようにと早めに分娩室に移された。

だが、そこからの格闘も長かった。

いきんでいいようになっても、すぐに出てくるわけではない。

また時間が長かったことは、妻の陣痛が弱かったこともあるらしい。

陣痛促進剤の投与も検討された。

ただ徐々に近づいてはいたようで、根気強く出てくるのを待つことになった。

その間、私にできることは呼吸法のサポートと水を飲ませることと汗を拭くことくらい。

それでも夫が落ち着いていることが何よりだったようで、助産師さんたちからは「サポート上手」と太鼓判をいただいた。

確かに、落ち着いていることに関しては、私の右に出る者はそうそういない。

 

最後は会陰切開も検討されたが、そうなる前に出てきてくれた。

頭が少し出て髪の毛が見えたくらいからは、私は「いよいよだな」と感じていたのだが、妻からは見えなくてわからなかったらしい。

子がするっと出てきた時、それを見たときの妻の表情は、YouTubeのオモシロ動画なんかに出てきそうな驚愕の表情を浮かべていた。

目をカッと見開いて、口をあんぐりと開けて。

声も出せず、ただただ驚いていた。

産まれてからはしばらく分娩室に滞在した。

その病院はカンガルーケアとやらをやっているそうで、出産直後の2時間は母子同室で触れ合わせるらしい。

その間、妻は食事をとっていた。

食事にも定評のある病院らしく、小洒落た「ゴロゴロ野菜のスープカレー」という名前でもつきそうな料理が出てきた。

私はといえば、妻の指示で子の動画と写真をやたらと撮らされ、両家の親族に出産の報告と動画を送りつけ、それなりに慌ただしく過ごしていた。

 

子は出産時こそ泣き喚いていたが、あとは静かだった。

世界の感覚でも確かめるかのように、手指と足をゆっくり動かす。

呼吸をしながら、飲んでいた羊水を泡のように吹いている。

文字通り、産まれて初めて息をしている。

「呼吸をするように」などと喩えられることもあるが、彼にとって呼吸とはまだ容易いものではないのかもしれない。

目はまだ見えていないのだろう。

開かれてはいるが焦点は合わない。

手に指を近づけると反射で握り返してくる。

その一挙手一投足を観察する。

まさにゼロの状態から、彼が世界をどのように認識していくのか。

実に興味深いなと思った。

 

まぁ生活が激変するのはこれから。

のんびりこんなことを言ったり、書いたりしているのも今のうちだろう。

今のうちだから書いておこう。

これもまた備忘録である。