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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

考えるときの癖

結婚式のムービー作りをしている。

プロフィールムービーだけ作るつもりだったが、意外と難しくなかったのでオープニングも作ることにした。
私のこういったソフトウェアを使う能力は、平凡に毛が生えた程度のものである。
しかし最近のソフトは優秀で、素人の力量を大きく見せてくれる。
ある程度、望み通りのものが出来上がったと言っていい。
 
ただ私は0からモノを作るのが苦手な人間である。
本来は出来上がったモノに手を加えてアレンジしたり、改善してより良くするようなことが得意である。
0を1にするのでなく、1を3とか4にするのが得意なタイプである。
だからムービーも妻が「こんなのがいい!」とアイデアさえ出してくれれば、それに沿うように作るだけなので楽なのだが、妻もぼんやりしたイメージしか持っておらず、ネットでサンプルとか探し出す有様なので、私が全体の構成から考えることになった。
まぁやってやれないことはない。
考えるのがめんどくさいだけである。
 
使う曲だけ決めていたので、その雰囲気に合わせて使う写真や流れを考える。
ぼんやりした「こんな感じ」という自分の中のイメージを、削り落としながら形にしていく。
「この写真とこの写真はテンポ良くつなげて見せたいな」とか、「この写真はサビで使いたいから、手前の写真との間に間を作って、そこで時間調整をしようかな」とか、少しずつ具体的な作業として実行していく。
作業しているときはPCと向き合っているのだが、考えるときは席を立って部屋をうろうろ歩き回っていた。
そのことに、妻に指摘されて気がついた。
 
私は思考しているとき、部屋の中をぐるぐる歩き回る癖がある。
自分の中では当たり前というか、あまり変な癖だと思っていなかったのだが、大学の卒業論文執筆のときに同級生から指摘された。
ゼミ室は広くて歩き回るのにちょうどいい。
ぐるぐる歩き回っていたら、「なんでうろうろしてるの?」と言われた。
「なんでも何も、考えてるからだよ」と言ったのだが、理解されなかった。
考えるときに歩き回るのは普通ではないらしい。
テレビや漫画で、名探偵が部屋の中を行ったら来たりしながら推理している光景を思い浮かべてもらいたい。
あんな感じである。
ただし普段からそうだが、私の歩くスピードはかなり速い。
考えているときもゆっくり歩くのではなく、せかせかせかせか行ったり来たりする。
傍目に見れば、鬱陶しいかもしれない。
 
いや別に歩かなくたっていい。
なんなら踊ってもいい。
ただ考えているときに、じっとしているのが苦手なのである。
さすがに仕事中にうろうろしていると鬱陶しいだろうから歩き回らないが、その代わりに手が忙しなく動いている。
手首をくるくる回して宙に円を描いていたり、タイピングをしないのにキーボードをカタカタ触ってみたり、とにかく何かしていないと思考が回転しないのである。
そういえば、喫茶店や居酒屋で話をするときも、つい手遊びをしてしまう。
無意識におしぼりを畳んだり開いたりを繰り返したり、飲みもしないのにストローでグラスの氷をつついたり。
これも人に指摘されるまで、自分がやっていることに気付かなかった。
あまり行儀の良いものではないので直したいのだが、無意識に出るものなので気付けばやっている。
せわしない性分のせいだろうか。
 
私のデスクには、「うなぎ天国」という名の手のひらサイズのビーズクッションが置いてある。
確か静岡のどこぞのサービスエリアで買った、鰻をモチーフにした謎のキャラクターである。
見かけたとき、脱力系の外見とちょうどいい大きさに惚れて買ってしまった。
彼が普段、どんな仕打ちを受けているかはご想像にお任せする。

やめられないもの

今週のお題「私の沼」

 

私は飽き性である。

基本的に長く続けることが苦手だ。

趣味嗜好というか、物事に対する興味ということで言えば、熱し易く冷め易い。

いや、もしかしたら、全然熱されないから続かないのかもしれないが。

人生で一番長く続けていることはランニングである。

これはある意味、興味とか関心とは無関係だし、面白いからやっているわけでもないので、だからこそ長く続いていると言えるかもしれない。

物事に対する理解や習得が早く、一定レベルに到達するまでがものすごく早いのが私の能力の特徴である。

そして、その適用範囲が異様に広い。

だからある程度までレベルアップすれば、満足して他のことに興味が移ってしまう。

そして次の何かに取り組んでは、またある程度までやってやめるということを繰り返す。

極めるということはすごいことだと尊敬するのだが、非効率的だと思ってしまうのである。

到達度50%の物事を80%まで引き上げることに必要なコストと、80%を90%まで引き上げることに必要なコストでは、後者の方がコストが大きいと思っている。

ならば他のいろんな物事に手を出した方が、効率的に人間としての総合力を高めることができると思っている。

 

さておき、そんな私がやめられないことが一つだけある。

それはゲームをすることだ。

人に言わせれば、ものすごく稚拙かもしれない。

無益でもある。

しかし私はゲームが好きだ。

理屈ではなく、ただやっていて楽しい。

常時スマホには2〜3のゲームアプリがインストールされている。

飽きてやめるものもあるので決して長く続けているとは言えないが、ゲーム自体をやめたことはない。

どちらかと言えば、ゲームとか興味なさそうなタイプだと思われることが多いのだが、ライトゲーマーにはあたると思う。

 

ゲームと一口に言っても様々なものがある。

例えばTVゲームについて言えば、私が初めてプレイしたのは確か幼稚園の頃である。

なぜか家にツインファミコンがあった。

ツインファミコンなんて、今では存在そのものが幻のようなものである。

カセットタイプのソフトとフロッピータイプのソフトの両方ができるゲーム機だった。

父親が買ってきたのだろうが、なぜ買ったのかはわからない。

幼い私は欲しがったりしなかったし、そもそもまだ上手にプレイできなかった。

確か、マリオとゴルフのゲームがあった。

やってはすぐにゲームオーバーになったのを覚えている。

ゴルフについては、何ホール目かのコース前半にある池が越えられなくて、まったく前に進まなかった。

 

その後、小学生に上がって、スーパーファミコンを買ってもらったり、ゲームボーイを買ってもらったりした。

スーファミでは、初代マリオカートと初代パワフルプロ野球に熱中した。

初代パワプロとか、今流行りの育成システムもなければ、好きにチームを編成するアレンジシステムもなかった。

よくそれで、あれだけ繰り返し遊べたものだと思う。

ゲームボーイといえば、大流行したポケモンである。

「緑」をひたすら繰り返しプレイした。

単3電池4本が必要な初代ゲームボーイは非常にコストパフォーマンスが悪く、小遣いなどほとんどなかった時分には、あれこれ考えて必死に電池を保たせようとした。

「電池は温めたら少し回復する」という、よくわからない都市伝説を信じ、ファンヒーターの前で電池カバーを外してプレイしたりもした。

今考えれば、危険極まりない行為だが、それだけ熱中していたということである。

 

ちなみに私には年の離れたまだティーンエイジャーの弟がいるのだが、「ポケモンGO」が話題になったときに、弟に「昔、ゲームボーイでよく遊んだなぁ」と漏らしたら、「ゲームボーイって、何?」と言われた。

「単3電池が4本必要で、こんな大きさで、画面が白黒で…」と説明したら、「白黒のゲームとかあるん?」と言われた。

そんな弟もゲーム大好きで、最近はPS4をネット接続して、よくわからない通話機能でその場にいない友達と会話しながら一緒にゲームをしている。

文字通り、隔世の感がある。

「本体にコントローラーを4つ繋げば4人プレイまで可能」とか、もはや胸踊ることでも何でもないのだろう。

 

まぁゲームなんて、所詮、非生産的で何の意味もないことではある。

しかし突き詰めて考えていけば、生きていること自体が意味のないことである。

ある意味では、ゲームというのはヴァーチャルリアリティであるので、もう一つの世界を生きる行為とも言える。

違うのは、リセットボタンを押してやり直せるかそうでないか。

ならこんな辛くて苦しい世界に無理やり楽しみを見出そうとしなくても、やり直しのできる仮想世界に興じるのも一つだと思う。

そうは言っても、ヴァーチャルもリアルも体感できる身体は一つであり、その身体を生かすためには現実で四苦八苦しないといけないのだが。

 そんな世知辛さがあるから、余計にゲームをやめられないのかもしれない。

このブログに関するどうでもいい話⑤ 〜読むこと、読まれること〜

以前より、ブログを定期的に訪問してくれる人が増えている。

ありがたい話である。

毎度書くが、私は書きたいことを書いているだけである。

ブロガーになるつもりも、アフィリエイトで小遣い稼ぎをするつもりもない。

だから読みやすい形式上の工夫(フォントを変えたり、色を使ったり)はしていない。

めんどくさいからなのだが、そんな読みにくい記事でも読んでもらえることは素直に嬉しい。

 

記事はほぼ毎日更新しているが、毎日書いているわけではない。

出張の移動時間や休みの日にまとめて書き溜めしている。

だから記事を書いてから公開されるまでタイムラグがある。

時事ネタとかのわりに妙に反応が遅かったりすることもあるが、ご容赦いただきたい。

まぁ検索を引っ張りたいわけではないので、個人的には旬を過ぎたネタでも全然構わないのだが。

 

あと当ブログではコメントは承認制をとっている。

昔のブログではコメント欄を使って自分のサイトを宣伝したりする奴がいたので一応そうしているが、今のところそういう人はいないので、機能としては形だけである。

確認したらすぐ承認するようにしているし、宣伝目的でなければどんな厳しいコメントでも承認するつもりだが、承認までに時間がかかる場合もあるのでご了承いただきたい。

幸い、今のところ好意的なコメントが多くありがたい。

 

読者登録される人も少しずつ増えていて、ありがたいなと思う。

またアクセスを見ていると、「はてな」以外でも単に当ブログをブックマークしている人もいるようである。

読んで面白いように書く努力はしているつもりだが、万人ウケするようには書いていない。

むしろ偏った見方だったり、世の中を斜めに見たような考え方が多いと思う。

「こんな考え方もあるんだな」、「こんな変なことばかり考えている人間がいるんだな」と面白く思っていただければ幸いである。

 

読者登録いただいた方は、その人がブログを書いていて、読んで興味を持てたらこちらも読者登録するようにしている。

(特定の趣味などに関するブログで、私がその特定のものに興味を持てない場合はスルーしてしまうので悪しからず)

他人のブログを読むのは面白い。

普段、同じ人を定点観測する機会というのはあまりない。

いろんな人の価値観や普段の生活の様子、その変遷を眺めるのは単純に興味深い。

本当は自分からいろんなブログを探したいところだが、めんどくさいし、時間の使い方の制約上、これ以上やることを増やせないので、読者の方を起点に読む機会を作っている。

私の読者はそんなにたくさんいないので、記事を書いている人は全部目を通している。

面白かったり、書き続けてほしいなと思ったらスターもつける。

読みもせず、意味もなく、ただペタペタ足跡をつけているわけではない。

 

ブログなので基本的には一方通行だし、それでいいと思う。

ただ読むことと読まれることを通して、擬似的な交流が持てるのも面白いなと思う。

2017 東京優駿(日本ダービー)、目黒記念 〜予想〜

東京優駿日本ダービー

◎:11ペルシアンナイト

◯:12レイデオロ

▲:1ダンビュライト

△:7アルアイン

△:18アドミラブル

△:4スワーヴリチャード

 

本命は皐月賞2着のペルシアンナイト。

安定して好走を続けているし、重馬場のシンザン記念でも3着に食い込み、馬場が湿っても大丈夫そう。

デムーロ騎手から戸崎騎手への乗り替わりがどう出るかは気になるが、軸にするなら一番安心できそう。

対抗は久々の皐月賞で5着に入ったレイデオロ。

5ヶ月ぶりを考えれば、前走の結果はまずまず。

叩いてからのダービーに、調子を上げてきたルメール騎手の継続騎乗とあれば、本命に推してもいいと思える。

ただし皐月賞5着以下かつ5番人気以下は、3着内が0なのが気になるので印を下げた。

単穴は最内で武豊騎乗のダンビュライト。

いつも好位からしぶとく3着内に食い込んでくる。

データ的に圧倒的な好走率を誇る1枠なら、勝ちまであるかもしれない。

皐月賞では馬券師たちの盲点をかいくぐって勝利したアルアインは、ここでも押さえておきたい一頭。

最外に回ってデータ的には切りたいアドミラブルは、デムーロ騎手騎乗での後方一気に警戒したい。

スワーヴリチャードはもう少し前で運べれば、皐月賞ではもっと良かったかも。

ここは見直して買うことを検討したい。

他にもクリンチャーとカデナが気になるが、さてどうしたものか。

 

目黒記念

◎:1モンドインテロ

◯:2ヴォルシェーブ

▲:4カフジプリンス

△:5アルター

△:8ラニ

☆18:クリプトグラム

 

正直よくわからないハンデ戦

軽ハンデ馬で買いたい馬はいないし、重いハンデを背負っても信頼できるほどの馬もいない。

データを参考にしながら、しぼっていこうかと思う。

本命はモンドインテロ。

前走のG1大阪杯は置いておいて、G2ではまずまずの結果を残している。

実績と安定感はこのメンツでは上位。

前走の人気だけがデータに照らしてネガティヴだが、前走G1であることを考慮すれば問題ないかと。

対抗はヴォルシェーブ。

データ的には年齢だけが気になるが、こちらも重賞実績は上位組。

あとは乗り替わりがマイナスなので、福永騎手から戸崎騎手というのが、吉と出るか凶と出るか。

単穴はカフジプリンス。

面白くないが、理由は前の2頭に同じ。

こちらは前走先行しているのがデータ的に引っかかるが、そこまで無理に前で運ぶ感じではなく、好位から勝負するタイプと見て買うつもり。

上がり馬のアルター新馬戦以来の芝レースとなるラニは、念のために押さえる感じで。

他はなんとも微妙であることを考えれば、1年ぶりのレースとなるクリプトグラムも面白いかもしれない。

セックスレスをオープンに語る

先日、一緒に飲んでいた女性の同僚が「うちはセックスレスなんだよね〜」と嘆いていた。

また別の女性の同僚は、「ママ友で不倫してる人が結構いてさ〜」と話していた。

ものすごい勘違い野郎なら、「もしかして俺、誘われてる?」と思うのかもしれない。

いや案外、世の中の不倫なんてのはそんな勘違い野郎の暴走に、女性が満更でもないところから始まるのかもしれない。

 

さておき、夜の営みの悩みというのは、結婚して月日が経っても、いや月日が経つほど生まれる問題なのかもしれない。

「日本人夫婦の〜%がセックスレス」なんて情報がまことしやかに流れるほどである。

「まことしやか」というか、実際そうなんだろうが。

これでは少子化問題の解決なんて当分見えてこないのではないかとも思えるが、実際はそんな単純な問題ではない。

セックスレスだから子供が少ない」というわけではない。

経済的、社会的に子供を持つ余裕がないから、子供を作ることを躊躇うのである。

現にそういった人が望む数だけ子供を持った場合の出生率を、国は目標数値として掲げているが、達成には程遠い状況にある。

つまり子供を作れる状況にないから、セックスしないと言えるのかもしれない。

そもそもセックスは子作りのための行為なので、それはそれで常識的な判断ではある。

しかし性欲というのは、それほど都合良くできているものではない。

たとえ本人に子供を作るつもりがあろうがなかろうが、関係なしに湧き起こるときは湧き起こる。

上述の女性の同僚たちの話もそうで、本当はセックスしたいのにうまく運ばないから、冗談としてそんな発言が出てくるのだし、不倫だってそれを家庭内で解消できないから起こるとも言える。

これは問題なのだろうか、それとも「仕方ないね」で済ませるところなのだろうか。

 

私は問題でもなんでもないと思う。

そもそも日本人の近現代の文化的背景や国民性を考えれば、恋愛結婚というもの自体が日本人に向いていないのだと思う。

「恋愛結婚」というのは、本当は最後まで「恋愛結婚」でなければならないのではないだろうか。

「恋愛して、結婚して、子供ができたらもう『家族』です」というのがおかしいから、セックスレスなんて話が出るのだと思う。

これが「恋愛」の前に「結婚」というものが先に来るのであれば、セックスは限りなく子作りのための行為に近くなるだろう。

子作りのためのセックスなら子供を作るつもりがなければしなくていいし、しないことに対する不満もそこまでではなかろう。

 

たとえば老齢に差し掛かっている男女がいちゃついていると、どう感じるだろう。

「気持ち悪い」、「みっともない」と感じる人がいはしまいだろうか。

しかしそれこそが恋愛の本質なのではないかと思う。

相手が好きなのだからスキンシップを求めるのは当然である。

そしてそれは結婚したから、子供ができたから「はい、お終い」というものでなく、相手と一緒にい続ける限り、程度は落ち着いても続くものではないかと思う。

きっと中途半端に欧米化した日本では、「恋愛の先の結婚」と「家族を持つための結婚」の価値観が入り混じり、また人によってどちら寄りかも様々になっているのだろう。

「私はもっとスキンシップを取りたい」という人もいれば、「いやいや、家族なのにそんなにベタベタしてたら気持ち悪いでしょ」という人もいて、気持ちがすれ違ったり、うまくいかないなと感じる人が出てくるのだと思う。

 

恋愛感情のない私だが、性欲はあるので基本的にセックスはしたいと思っている。

今は妻がスキンシップ大好きなので、すんなりセックスまで流れる。

私がその気のないときでも毎晩べったり且つキスの嵐で、私はよほど体調が悪くなければそれに付き合っている。

といっても、私は出張で毎週3日ほど家にいないので、実際にセックスするのは週2日ほどである。

月日が流れたり、そのうち子供ができたりすれば妻も落ち着いてくるだろう。

そうすれば、私も対応の仕方を変えるだけである。

きっとカップルの数だけ夜の営みの形はあるのだろうから、自分たちで考えていいようにしていけばいいのだ。

むしろ、こういう話をオープンにできない社会の雰囲気が、セックスレスの一番の原因かもしれない。

好きな言葉

私の行動基準や行動規範というのはとても複雑で、座右の銘などと言われても相応しいものがパッと出てこない。

複雑なものを丸まま飲み込んだものが自分であり、自己矛盾を許容することを是としている。

ただ、好きな言葉というのはある。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」である。

レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に出てくるフィリップ・マーロウの台詞で、わりと有名なので聞いたことがある人は多いと思う。

ちなみに上に書いた和訳は、言葉だけが一人歩きする中で作られたものであり、小説上の和訳では「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」(生島治郎訳)となっている。

原文は「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」である。

言葉の含む意味というのは言語により異なるので、英語が含む真意を完全に和訳することは難しい。

「hard」という単語をどう訳すかでこの言葉の持つ雰囲気は変わるのだが、私は先に挙げた「強くなければ〜」が一番日本語的で好きである。

 

私は基本的に世の中というのは弱肉強食だと思っている。

syuten0416.hatenablog.com

強くなければ生きていけない。

人間社会というのはルールによって社会的弱者も守られるようになっているが、ルールによって弱者を保護するという機能自体が、人間という種が持つ強さの一つだと言えると思う。

ともかくも、世の中というのは甘いものではない。

人が二人いれば優劣がつく。

その基準が様々あり、単純にどちらが強いか弱いか決められないだけで、実際には特定の局面において、あるいは総合的に強い者と弱い者に分かれてしまう。

私は勧善懲悪の物語が好きだが、世の中はそうでないのである。

皆が皆一面の正義を持っており、正義と正義をぶつけ合って、勝った方が正義を名乗ることを許されるようなものである。

正義が勝つのはフィクションの中だけのお話。

実際の世の中は、倫理に反する悪党の方が好き勝手に生きていたりもする。

 

では、もし自分が圧倒的な権力やら金銭やら腕力やらの力を持っていたとしたら、好き勝手好き放題生きたいだろうか。

きっと私はそうしないと思う。

これは善とか悪とか、倫理や道徳的にどうだとか、そんなこととは無関係である。

ただ私がそうしたくないだけだ。

だって気分が良くない。

どうせなら、余った力で誰かのために何かしたい。

それは誰かに認められたいとか、褒められたいとか、そういうことが理由ではない。

そうすることが最も効率的で合理的な「力」の使い方だと思うからである。

ある程度まで足るを知っていれば、余剰な「力」というのは食品の廃棄ロスと同じように無駄なものである。

それを有効活用してもらうことで感じられる効力感というのが、私にとっては大切なのである。

 

だからこの言葉に私が見る「優しさ」というのは、一般的な感覚と少し違うかもしれない。

syuten0416.hatenablog.com

ちょうどこの記事の感じだと思ってもらえばいいだろうか。

作り過ぎた料理を隣の家におすそ分けに持って行くような、自分の仕事が早く終わったから隣の席の同僚に「何か手伝うことはないですか?」と声をかけるような、そういう「優しさ」である。

もちろん自分が与えるばかりでなく、受け取ることも多い。

そうやって気軽に余剰なエネルギーをシェアし合えるような人間でありたいなと思う。

 

家庭内の話をすると、私が妻にとても尽くしているように受け取られる。

それは間違いではないのだが、単に私の余剰なエネルギーを妻とシェアしているだけにすぎない。

つまり私は、自分が「こうありたい」と考える人間として振舞っているだけなのである。

もしかしたら、いつか私が誰かに一方的に力を分けてもらうだけの存在になるかもしれない。

だから自分の意識がはっきりしているうちに、できるだけ「自分が願う自分」で居続けたいと思うのである。

 

ちなみに、某空手家の名言「正義なき力は、無能なり。力なき正義は、無能なり」とかも好きである。

痩せ過ぎ注意②

syuten0416.hatenablog.com

 

先日受けた健康診断の結果が送られてきた。

総合所見は4年連続で「C12」。

「日常生活に注意を要し、年1回の経過観察を必要とします」だそうである。

何が問題って、タイトルの通り痩せ過ぎていることが問題とされている。

BMIが17.4。

BMIは18.5を下回ると痩せ型(低体重)とされ、一般的にガンや心疾患での死亡率が高くなる。

そう考えると、17.4という数字はやはり異常に痩せていると言えるのかもしれない。

ちなみにBMIの数値はここ数年はほとんど変わっておらず、17.5前後で推移している。

 

実際に体調が悪いということはない。

ただ痩せているだけである。

胃が痛かったりすることはあるのだが、それはたぶん痩せていることとは関係ないだろう。

健康診断でも、それ以外に引っかかることはない。

毎回思うのだが、「年1回の経過観察」とはどうしたらいいのだろうか。

体重でも測っていたらいいのだろうか。

そもそも体重を測っていても勝手に増えるわけではない。

本気で太るつもりなら、太るための工夫が必要だろう。

 

食べるということに関する興味が薄い。

何かをやっていると、飯を食うのを忘れることもある。

ただエネルギー量はギリギリで活動しているので、あまり腹が減りすぎると動けなくなる。

だから食べ忘れないように自己管理しなければならない。

食べ物もできるだけハイカロリーのものを選ぶ。

ジャンクフードだろうがなんだろうが、私にとってはエネルギーを蓄えられればいいのである。

先日、女性の同僚から「矢沢あいの漫画に出てくるキャラクターみたいなスタイル」と羨ましがられたが、こちらはこちらで結構苦労している。

 

最近は社内で積極的に間食をしたり、甘いコーヒーを飲むなどしてカロリー摂取を心がけているが、何とか体重を維持するのが精一杯という感じである。

米を食うのがしんどくて、毎食1合を妻と半分に分けているのだが、それでは全然少ないと皆から批判を受けている。

食事の回数を増やせばいいのかもしれないが、食費が増えるのが嫌だなというのが本音である。

私は出張時など自分1人で食事をする際は、1日の食費を1000円までと決めている。

妻は1食1000円くらいのランチを食べることもあるし、コンビニでサラダと弁当を買ったりすると800円くらいはすぐに使うので、私ができるだけ節約するしかないと思っている。

私なんぞは何を食っていてもいいが、あまり妻には我慢させたくない。

まぁ二人で食事をするときは私が安い食材を使って料理するし、弁当も準備するのでかなり節約になるのだが。

 

そう考えると、出張を減らすのが一番節約と健康にはいいかもしれない。

料理をするときは結構栄養バランスにも気を使う。

さほど細かく計算するわけではないが、肉や魚や野菜をバランス良く食べられるように考えたりする。

自分が食べる分には何も考えないが、人に食べさせる分にはきちんとした食事を摂らせたい。

しかしその「きちんとした食事」がヘルシー過ぎて、痩せる原因になっているという指摘もある。

ちなみに妻も痩せている。

 

あと出張を減らすと手当みたいなもの(出張手当ではない)がもらえなくなるので、収入が若干減ることになる。

そもそも、今の忙しさでは出張を減らすことは難しい。

うまくいかないものだな、と思う。

痩せ過ぎはしばらく解消されそうにない。