異呆人

毒にも薬にもならない呟き

2周年らしいよ

はてなブログから、ブログ開設から2年経ったという通知が来ていた。

「あぁ、そういえば2月だったな」と思い出す。

特に始めた時期に意味はない。

いろんなしがらみから解放された場所で、ただ考えていることを吐き出したかったのだが、それがたまたま2月だっただけである。

ちょうど仕事が暇だったのもあったかもしれない。


去年まではほぼ毎日記事を書いていた。

書きたいことは次々と思い浮かぶ。

それを記事にするだけの時間もあった。

今は時間がない。

書きたいことは次々と思い浮かぶ。

ただ無理に書かなくてもいいかと思うようになってきた。

思い浮かんだことは、しばらくすると消えていく。


最近感じることは、身の回りの様々なことへの執着が、どんどん薄くなっているなということ。

仕事は一生懸命やっているという気がしない。

こなしているだけに限りなく近い。

会社の将来性を案じ、積極的にあれやこれやしていたときの熱意はない。

プライベートもほとんど出かけることはなくなった。

妻がどこかへ行きたいというときに一緒に行く程度である。

ランニングもすっかりご無沙汰で、先日、数ヶ月ぶりに友人と20km走ったら、全身筋肉痛で数日悶絶する羽目になった。

じゃあ何をしているのかといえば、だらだらゲームをしているだけである。

そういう状況に焦燥感のようなものを感じなくなったことは、自分の中での変化だなと感じる。


何がしたいとも思わない。

別に生きていたいとも思わない。

ただ、死にたいとは思わなくなったかもしれない。

生きてようが死んでようが、どうでもいい。

投げやりな感じではない。

自分の存在と不在が等価になっていく感じ。

私は存在し続ける限り私で、存在しなくなった途端、私でなくなる。

だから不在は恐ろしいことではない。

存在することも、以前はただそれだけで煩わしいことだったが、それほど鬱陶しがるものでもないと思えるようになった。

たぶん、私は自分の存在を繫ぎとめるためにエネルギーを使い過ぎていたのだと思う。

今は明確に自分を必要としてくれる人がいるから、私が私自身にとっての存在意義を問わなくてよくなった。

私にとってどうでもいい人生でも、誰かにとって必要なら続くだけ続けばいい。


まぁそんな感じのゆるゆるモードになっているので、まだしばらく更新頻度の低い状態は続きそうである。

そのうちまたたくさん書きたくなるかもしれないし、もしかしたらいつの間にか更新されなくなっているかもしれない。

ただせっかく始めたことだから、少しでも書き続けられるように、こうしてリハビリみたいなことはしておく。

面白くない記事がさらに面白くない状態が続くが、御免蒙りたい。

不在と不在と不在

新婚旅行に行っていた。

このブログのどこかの記事でも触れたかもしれないが、西オーストラリアのパースという美しい街である。

入籍も挙式も昨年の早いうちに済ませていたのだが、新婚旅行は妻がオーストラリアに行きたいということだったので、こちらが冬、つまり向こうが夏になるまで待っていたのだった。

どうせわざわざ南半球まで行くのなら、寒い日本を抜け出して暖かい(むしろ暑い)国に行きたいと思うのが人情である。


6泊7日、実際には移動に1日かかるので、現地に滞在していたのは5日間ほどだった。

私は、海外旅行はずっとめんどくさいと思っていて行ったことがなかった。

その認識は今でも変わらないのだが、今回の旅行は本当に行って良かったと思った。

それはパースを中心とした西オーストラリアがとても素晴らしかったことによる。

治安の不安が少ないし、英語なら多少は理解できるのも安心だった。

地中海性の気候はとても心地よく、適度に都会でありながら海や川や緑がすぐ近くにあった。

もちろん少し郊外に出れば、そうそうお目にかかれない大自然が待ち受けている。

旅行記を書けばブログ記事5,6本はすぐ書けるだろう。

時間のあるときに、書きたいとも思っている。


旅行中は社用携帯は置いていった。

国際通話が必要になるほどの、差し迫った重要な仕事はない。

まったく仕事のことを考えなかったのも良かったかもしれない。

海外で使用できるレンタルwifiを持って行っていたので、同僚には何かあったらLINEで知らせてもらうようにしていたが、結局一度も連絡はなかった。

気を遣ってもらったのだとは思う。

逆に日本に帰って来た今は、溜まっているであろう仕事のことを考えて、少し憂鬱な気分になっている。


だが、すぐには仕事に出ることができなくなった。

祖母が亡くなった。

先日のブログ記事にも書いたが、いつとも知れぬ状態ではあった。

私はその報せを、帰国の途についた日の夜に、経由地のシンガポールで受け取った。

周囲も、本人も、十分に心の準備ができていてのことだったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

すぐに通夜と告別式の準備がされた。

日本には機内泊で朝に着いたのだが、その日に荷物の片付けをし、そして翌日に通夜に出るために地元に帰ることになった。

この記事は帰省の新幹線の中で書いている。

明日出社する予定は、告別式のため1日延びた。

会社の上司には連絡を入れてある。


加えて、妻がインフルエンザに罹患した。

旅行の後半から体調が良くなさそうだったが、B型インフルエンザで発熱がほとんどなかったせいで、検査をするまで私も本人もそれとは疑わなかった。

持病の花粉症か喘息のような症状が出ていて、祖母の葬儀や仕事で病院に行けなくなる前にと、帰国してすぐ救急外来に行ってわかったのだった。

いくら義理の家族の不幸とは言え、インフルエンザの人間を連れて行くわけにもいかない。

そして私が行かないわけにもいかない。

だから旅行の荷物の片付けや洗濯をしながら、妻の身の回りの世話もできるだけしてから、私は彼女を置いて出かけることになった。

まぁ今時分はインフルエンザなど、薬さえ飲めば大したことはない。

四六時中一緒にいた私も感染している可能性はあるが、そんなことは今更気にしても仕方ないことである。

発症してから考えればいい。

ただし私の記憶のある限りでは、私はインフルエンザに罹ったことがないのだが。


そんなこんなでほとんど休む間がなく、おそらくそのままの流れで仕事に出ることになりそうである。

1日休みを挟める予定だったのだが、その休みがただないよりもハードな予定になってしまった。

さすがにしんどい。

ただ、誰が悪いわけでもない。

巡り合わせである。

そう承服しているから、誰に言うわけにもいかない愚痴を書き連ね、それで済ませることにする。

1枚だけ、旅行の写真を。

気慰みである。

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教えることは得意だけど

クレームになった案件の最終処理で新潟まで行ってきた。

炎上の火はすっかり消えていて、最後に改めて取引先に研修をするということになっていたそうである。

それなら誰かがさっと行ってやってくればいいものを、なぜか関係者は誰も手をつけようとしない。

まぁ初期研修が十分でないと言われてクレームになったのだから、再度研修に行っても同じことしかできないと思えば尻込みもするか。

そんな具合で、訪問する日程だけは決まっていて、誰が行くかでごちゃごちゃしていて、最終的に私にお鉢が回ってきた。

私は関係者ではないし、自分の担当エリアとも遠く離れている。

もちろん私が行ったからといって、特別なことは何もできない。

ただ、こういうめんどくさそうなことの多くは、私に回ってくる。

私もくだらないことでごちゃごちゃ責任をなすりつけ合うのを見ているのが気分が悪いので、大抵引き受けてしまう。

そして引き受けるからまた頼まれるというループが発生する。

別にいいけどさ。

 

研修は無事に終わった。

「わかりやすい(初めからこう説明しろ)」とも言っていただけた。

直前にも面倒な顧客の案件で出張っていて、同じようなことを言われている。

概ね、私の「研修(説明)」というのは好評である。

特技のようなものかもしれない。

物事を筋道立てて考えること、それを同様に筋道立てて説明すること。

私にとっては単に私という人間がそういう風に出来ているだけで、特別なことをしているつもりはない。

そのせいで過分に冗長で理屈っぽくて面倒な人間でもある。

まぁ、役に立つのであれば使わない手はない。

 

学生の頃は学習塾でアルバイトをしていた。

中学生向けの集団授業である。

それも概ね好評だった。

周りから「学校の先生とか向いてそう」と言われることもあった。

自分でも「そうかなぁ」と思って、教職課程を履修したこともあった。

しかし最終的に、教師は自分に決定的に合わないと結論づけた。

なぜなら、私は勉強が嫌いだからである。

確かに、学習内容をときほぐして説明したり、試験のテクニックを教示することはできるかもしれないが、自分が勉強が嫌いなのに「勉強しろ」と言うことはできないと思った。

究極的には、問題はその一点だけである。

 

教職課程などを受講してみると、周囲の学生は結構熱心に「教育」ということについて考えていたりした。

温度差を感じた。

「教育」といっても、数学や国語や英語などの教科が、生きていくことにどれほど必要だろうか、などと考えてしまう私に務まるはずもない。

まあ「教育」というのはそうした教科教育に留まらないのだろうが、なら尚更、自分自身がそれ以外の何かを教示してあげられるだけの立派な人間だとも思えない。

勉強するなら、まずは自分でなぜ勉強するかを考えることがスタートだろう。

その根源的な理由、目標への道程に数学や国語や英語があるなら勉強すればいい。

逆にそうでないなら勉強なんてしなくたっていいと思う。

 

そんな話をすると「だからこそお前みたいな奴が教師になった方がいい」と言う人もいるが、こんなめんどくさい奴が学校にいたら、周囲とめんどくさいことになるだけである。

それを理解してなお「教育」というものに臨もうというほど、私は志の厚い人間ではない。

我が身が可愛い。

できるなら楽に生きていきたい。

いや、全然楽には生きられていないけれども。

 

仕事は仕事。

飯を食うために必要なもの。

仕事だからやる。

やるからには給料分の働きはする。

傭兵でいい。

私は特別ではない。

志持って世界を変えるようなことはできない。

関わった人にほんの少しの影響を与えながら、だらだら生きていくだけである。

だからこそ、志持って仕事をする人を尊敬する。

憧れる。

叶わないし、敵わないから、喝采だけ送るのである。

私の知らない私

ある朝、目が覚めると毛布1枚を被って寝ていた。

我が家では、私と妻は1つのベッド、1枚の布団で眠っている。

個人的には布団くらいは1人1枚の方がいいのだが、妻がダブルサイズの布団1枚で眠ることを希望したし、それを拒否することにより生ずる何某かを考えた場合、私の希望など取るに足りないと考えたからである。

だから普段は毛布は使わない。

私以上に寒がりの妻が、時折使う程度である。

その日も眠るときはベッドの上に毛布はなかったはずだった。

なぜ自分が毛布1枚で寝ていて、妻が布団を一人占めしているのか。

朝から些細なミステリーに頭を割く余裕はなく、疑問はそのままに出社した。

 

その日の夜、眠りに落ちる前に朝の毛布の件を思い出し、妻に尋ねてみた。

すると、「あなたが布団を奪ったので、それを取り返して、あなたには毛布を掛けておいた」と言われた。

それで思い出した。

以前にも同様のことがあったとき、妻は私に布団を独占させ、自分は毛布1枚で寝ていたのだった。

そのときもなぜそんな状況になったのか尋ねたら「あなたが布団を取ったから」と言われた。

毛布1枚で眠る妻が不憫だったので、「また同じことがあったら、私に毛布を掛けて自分が布団で眠るように」と言っていたのである。

妻はそれを忠実に実行しただけだった。

すべては私のせいである。

 

いびきの件と言い、一人で寝ているときにはわからなかったことが、妻と同じベッドで眠るようになってわかってくる。

しかもそれは私が意識のない間の出来事で、私にはコントロールしようがない。

別にどうというわけではないのだが、そのコントロールできないという部分に多少の歯痒さは感じる。

それも相手に不快な思いをさせているなら尚更である。

いびきは口を開けて寝ているせいなので、横向きに寝るように心がけている。

それでも寝相で勝手に上を向くようなので、TVCMでやっていた口に貼るテープで塞いでしまおうかと考えている。

果たして眠れるのかどうか疑問ではあるが、物は試しである。

 

しかし布団を取ってしまう癖はどうにもならない。

せいぜい布団を2枚にするという物理的な措置を講じるくらいである。

この癖については思い当たらないことがないわけではない。

私は眠るとき、布団を身体にぐるぐる巻き付けて、蓑虫のような状態で眠ることを好む。

幼いときからずっとそうで、なぜだか考えたこともなかった。

その方が寝付きが良い、落ち着く、暖かい、たぶんそんな感じだと思う。

今はそれを我慢している。

だが寝ている間に勝手に布団を取り上げてしまうのだから、その反動が現れているのだろう。

 

ネットなどでそういった癖について調べてみると、布団を身体に巻き付けたりする癖はストレスなどからの自己防衛が現れているそうである。

あるいは妻の言によると、私は布団を抱き枕のようにして眠っていることもあるようだ。

それは甘えたい欲求の現れだそうである。

そうすると私は幼い頃から普段の生活に不安やストレスを感じ、誰かに甘えたいと思い続けていることになる。

なるほど。

さて、思い当たる節はないが、真実どうなのだろうか。

私は自分のことをすべて知っているわけではない。

逆に自分のことに関して、知らないことが多いと言うつもりもない。

自分自身について粗方把握しているし、概ねコントロールできてはいる。

ただそれはあくまで意識に上る範疇での話である。

そもそも人間の意識に上ることなんて、割合で言えば泉の水を手で掬う程度のものではないだろうか。

それをこうやって言葉にすることで、手で掬った水が指の隙間から溢れ落ちるようにさらに減っていくので、人が思考できることなど知覚したことそのものより遥かに少ないと思っている。

 

だからどうというわけではない。

できることはない。

ただ、そんな狭い世界を自己として認識して、感じて、思考して、生きている。

そんな手水の中で一喜一憂していると考えれば、なんだか滑稽に思える。

私が好きな作家さんの小説の中に、トゥリビアルという言葉が出てくる。

瑣末な、取るに足りない、そんな感じ。

世界そのものの大きさからすれば、自分自身の存在や日常経験するあれこれなど、確かにトゥリビアルである。

そんな大きなものと比べなくても、自分の人生の長さからすれば、目の前の一瞬一瞬など、本当に一瞬でしかない。

トゥリビアルであること、しかしそのトゥリビアルがすべての世界で生きているということ。

人間なんて、大したことないのである。

 

とりあえず、妻に余計な手間をかけさせないよう、自主的に初めから毛布1枚で寝るようにしている。

しかし、これなら布団は2枚でいいのではないか。

風邪をひく前に具申してみることにしよう。

片方だけの手袋

寒い、寒い、とても寒い。

関東では大雪となり、出張で来た地元の関西でも雪がチラつく寒さである。

自他共に認める寒がりな私としては、外気に触れているだけで寿命が縮んでいる気がする。

外に出たくない。

が、外回りの仕事をしている身としては、そうも言っていられない。

出張の往路、手袋を片方失くした。

電車の中か、駅の構内を歩いているときに落としたか。

いずれにしても、もう戻ってはこないだろう。

探すのも面倒である。

取り立てて安いものでもないが、高いものでもない。

また新しいものを探すか、今持っているカジュアル使用のもので代用することにする。

 

日帰りのはずが、急な予定が追加されて一泊二日で地元に出張になったので、実家に泊まると親に連絡を入れた。

その返信に「祖母の体調が芳しくなく入院しているので見舞いに行けないか」とあった。

さほどガチガチに仕事の予定が詰まっていたわけではないので、多少時間は融通できる。

少し早めに切り上げて見舞いに行くことにした。

昨年だったか、祖母にガンが見つかった。

歳も歳だし手術も大変なので、抗がん剤放射線治療で対応することになったそうである。

しかし完治は難しく、徐々に進行しているようだった。

年末にはあちこち転移していることが見つかり、治療は続けているものの、徐々に緩和ケア的な方向に移っている。

いわゆるターミナルケアというものである。

本人もある程度自分の状態はわかっており、「痛くなければそれでいい」というような感じである。

 

見舞ったとき、祖母は事前に聞いていた状態よりは元気そうだった。

どうも調子が良かったようである。

しっかり話すし、自分で歩いてトイレにも行く。

ご飯も食べていた。

今度、新婚旅行に行くという話をすると、小遣いをくれた。

小遣いなんてもらう歳でもないし、適当な話題を投げたつもりが催促したように聞こえたのかもしれないとバツが悪くて受け取りづらかったが、大人しくもらっておくことにした。

もう次の年は迎えられないだろうと言われている。

祖母がこれから金を使うことはないだろう。

もらっておく方がすべて丸く収まる。

何か土産でも買って来て、また見舞いに来ればいい。

 

祖母はかなり痩せていたが、状態はしっかりしていた。

だからかもしれないが、特に悲しい気持ちにも哀れな気持ちにもならなかった。

まあ、きっと亡くなったとしても、涙は流れないだろう。

私が20歳のときに亡くなった祖父のときもそうだった。

実感が湧かないというより、自分への影響を感じられない。

そもそも私は死に対して否定的ではない。

冷たい人間かもしれないが、もうそういう風に出来上がってしまっている。

変わりもしないだろうが、変えるつもりもない。

 

すでに亡くなっている祖父と入院中の祖母は父方の祖父母で、私は可愛がってもらっていた。

初孫だったこともあっただろうし、いわゆる本家の長男だったこともあるかもしれない。

家系の中では異端なことに学業優秀だったこともあり、期待もされていた。

最終的には、私はその期待を裏切るような選択をし続けるのだが、それでも気にかけてもらっていた方だと思う。

だから嫌いなわけではない。

ただ私という人間が、何かに執着するようにできていないだけである。

強い好意を抱かなければ、強い憎悪も抱かない。

自分と他人がきっちり区切られた別のものだと思って生きている。

影響を受けないわけではないが、強く繋がり過ぎない。

繋がれない。

 

両親が死んだとしても同じような感じだろうし、もしかしたら妻が死んでもそうかもしれない。

自分が死ぬことになったとしてもそうだろう。

普段からほとんど感情が動かないのだから、どう動くのかなんて想像できない。

目の前にある現実を生きていくことしか出来ないと思っている。

誰かがいなくなった世界を嘆くことに意味はない。

受け入れるしかない。

いや、受け入れるために嘆くのだろうが。

 

片方失くした手袋を握りしめ、新しいものを買おうかしばらく我慢しようか悩みながら、同じ頭で平行的にそんなことを考える。

起こってもいないことを考えても仕方がない。

死は死ぬまで訪れない。

私の目の前にあるのは、片方だけになった手袋の方である。

一緒に見舞いに行った母親があれこれ身の回りの世話をしていたので、結局2時間ほど病院にいることになった。

腹が減っていた。