異呆人

毒にも薬にもならない呟き

学び直しにかける費用とその意味

先日、新聞記事で、「収入が高い人ほど、学び直しへの意欲が高く、かける費用も多い」というような内容を目にした。

この場合の「学び直し」というのは、社会人が「MBAの取得を目指す」とか「英会話学校に通う」とか、そういったものである。

ポジティブな見方をすれば、「そういう人たちは学び直しをするから収入が高くなるのだ」となるのだろう。

確かに、そういった社会人が受ける教育を進んで受けるのは、高収入のサラリーマンというイメージがある。

実際にそうだとも思う。

じゃあ、仮に私がMBAを取得できたら収入は増えるのだろうか。

また逆の見方をするなら、なぜやれば収入が増えるのに多くの人は学び直しに時間と費用を費やさないのだろうか。

答えはたぶん簡単で、学び直しへの意欲や取り組みは収入増につながらないからだろう。

 

例えば資格でいえば、私もいろいろ資格を持っているが、資格というのは持っているだけで意味がある場合と、持っているだけでは役に立たない場合がある。

資格がないとそもそも業務に触れることすらできないもの(運転免許のようなもの)は、持っているだけである程度意味がある。

反対に簿記の資格を持っていても、それは基礎知識があるということを示すだけで、例えば実際に経理業務ができるということは意味しない。

簿記を勉強していなくても経理業務に携わっていた人の方が、即戦力としては期待できる。

だから社会人になって学び直して知識・技術・資格を取得しても、実務経験がないと採用してくれない会社がほとんどである。

仮に収入増や待遇改善を期待して学び直しても、それが実を結ばないこともある。

 

それから、学び直しで得られるような高度に専門的な知識や技術は、世の中に多く存在するような普通の会社では必要とされない。

だから仮にそんなものが身についたとして、実際の収入には影響しないと思う。

学び直すのが高度でない比較的一般的な知識・技術・資格だったとしたら、それはきっと改めて学び直すことより実務経験の方が役に立つだろうし重視されるだろう。

TOEICで高得点を叩き出すくらいなら、1年くらい英語圏で生活して日常会話を身につけた方が役に立つだろう。

不動産業者で宅建を取得するくらいわかりやすく実務と収入に影響するものでなければ、たぶん学び直す側の動機付けにならない。

宅建だって、いわば持っているかどうかそのもので差が出る資格というだけで、持っている人と持っていない人とで実務上の知識に大きな差があるとは思えない。

 

何が言いたいって、世の中の大抵の仕事というのは、別に勉強ができなくたってできる。

多くの仕事で必要とされるのは、経験と本人の意欲である。

だからお金をかけて学び直すことは、多くの人にとってさほど有益ではない。

最近そういった社会人学習に公費で補助をしようという話があるようだが、あまり意味があると思えない。

学び直すことに金をかけるくらいなら、そもそもそんな必要がなくなるくらい高等教育を身のあるものにすることに金をかける方がいいだろう。

大学なんて半ば以上遊びに行くところ、もしくは就職先を得るために箔をつけるだけのステップになってしまっていると思う。

わりと日本は教育をおろそかにしている国なのだが、意外とそういう実感のある人は少ないようである。

どうでもいい話ではあるが。

 

どうでもいいついでだが、安倍さんが自民党の総裁選を勝った。

首相としての任期がさらに長くなることは間違いない。

任期が長くなることの弊害もチラホラ見えている気がするが、今のところは首相がコロコロ変わらないことの恩恵の方が大きい気がする。

というか、安倍さんが首相で良かったと思えることの大半は、政権運営が安定しているということである。

それ以外の中身はあってないようなものが多い。

以前に記事を書いた給付型奨学金の話もそうだが、相も変わらずバラマキ型で人気を取ろうとする古き悪しき政治手法を多用しているように思えてならない。

世の中は良くはならないんだろうな、きっと。

自分の身は自分で守るしかないということで。

米から食べてスミマセン

先日、妻と食事をしていて、私が米ばかり先に食うことを指摘された。

厳密に言えば、主菜と一緒に先に米を食べきってしまう。

これは育ちのせいである。

私の実家は兄弟が多く、食費がかさんだ。

なので母は育ち盛りの子どもの腹を膨らすために、とにかく米を食わせた。

白米が貴重だった時代ならともかく、現代において米は主菜や副菜より安価である。

だからオカズは少ないのに、米は茶碗に山と盛られる。

私はもともと少食で、腹にたまるクセに味の淡白な白米があまり好きではなかった。

だからオカズが残っているうちに米を食べてしまわないと、米だけが大量に残って食べられなくなり親に叱られる。

それでそんな食べ方が身についた。

 

ついでに野菜もあまり好きではない。

特に千切りキャベツ。

新鮮で良いキャベツは確かに甘いのだが、冷蔵庫で少し日にちの経ったキャベツなどはすぐにエグ味が出る。

ドレッシングを大量にかけて誤魔化すこともできるが、キャベツだけ残るととても辛い。

だからトンカツ定食などの場合、カツの残っているうちに米とキャベツを片付けることが求められる。

カツが先になくなるか、米とキャベツが先になくなるか、ギリギリのせめぎ合いである。

 

それから私は食事中に水を飲まない。

これも少食だったせいで、食事中に水を飲むと腹が膨れて食事が最後まで食べられなくなるからである。

味噌汁も最後まで手をつけないことが多い。

すっかり冷めてしまうのだが、猫舌の私にはちょうどよい。

ただし味噌汁をオカズだと思っている妻は、よく具沢山の汁物を作る。

これは具だけ熱いうちに食べてしまわないと、最後に冷めてしまったときにかなり不味くなる。

だから汁だけ残して食べる。

あとこれは性分なのだが、一つの皿を空けてしまわないと次の皿に移る気がしない。

中途半端に手をつけた状態で次のことに移るのが気持ち悪く感じるのである。

これは食事に限らず、普段の生活の多くのことが。

だから「三角食べ」ができない。

飲み屋に行っても、付き出しを食べ切らないと皿の料理に手をつけなかったりする。

ある意味、奇人かもしれない。

 

米だけ先に食べることについて回答するついでに、私は自分の中の食べる順番について妻に説明した。

妻も毎食最後まで味噌汁に手をつけない夫に疑問を持っていたようで納得したようだったが、「いつもそんなこと考えながら食べてるの?」と聞かれた。

まぁ本当に考えながら食べているわけではないが、私の行動や選択の背後には一応それなりの意味というか考えがある。

別に食事に限らない。

何をどうするのが効率的か、より良くなるか、とか考えながら生きている。

歯を磨くときは、右手で歯を磨きながら左手で何ができるか考えている。

朝の支度などのルーティンについては、起き抜けの頭が回らない状態でも身体が動くように順番を決めている。

その順番一つ一つも、熟慮した上で構成されている。

あるいは、私は仕事中に車内で昼食をとることになるときが多いのだが、狭いスペースでも食べやすい細長いスティック型のパンをよく食べる。

メロンパンなどはカスがこぼれ落ちやすいし、コンビニの三角形のおにぎりも封を開けたときに海苔が飛び散るのでNGである。

そんな話を同僚にしたら、「そんなこと考えて食べるもの選んでるの?」と笑われた。

いや、考えないかな、そういうこと。

私はそれが普通だと思っているが、他人の頭は覗けないのでどうなのかは知れない。

 
特に自分の行動の効率性というか、合理性みたいなものはわりと昔からよく考える。
失敗したくないというのもあるが、それ以上に時間がもったいないと感じてしまう。
最短ルートで、無駄がなく、不快なく、すべての物事を処理していたい。
中学生くらいのときからそうなのだが、自分の人生の時間が限られているということへの意識が強かった。
やりたいことはなかったが、いやなかったからこそ、それを見つけてから走り出し、目標とする地点に到達するまでを思い描いて、時間が足りないなと考えていた。
まして自分の人生がいつまで続くかという保証はない。
だから遊びでもなんでもいいから何かをしていたかったし、何かを考えていたかった。
つい効率性とか合理性とか考えてしまうのは、ある意味で生き急いでいた時期の名残のようなものである。
早く答えに辿り着きたくて走り回っていた。
その中で切り捨てたものもたくさんあったろうけど、それはそれで良かったというか、自分の生き方だったのかなと今は思える。
 
とりあえず、米から先に食べてスミマセン。
でも、直すつもりはないのでよろしく。

GOOD ON THE REELな感じ

確か、6,7年前にアルバム出し始めた頃から聴いているバンド。

いつか流行るんじゃないかと思ってきたけど、それほどメジャーな感じにはなっていない。

最近はプレイリストを肥やすために聞いたことのない曲を漁ったりすることが少なくなっていたのだが、この前、久しぶりに某レンタルショップでまだ聞いてないこのバンドのアルバムを借りてみたら、やっぱり好きだった。

オフィシャルのMVがあまりなくて、オススメは他にあるのだけど、とりあえず。

 

GOOD ON THE REEL / 存在証明書 Music Video - YouTube

 

いつもダラダラ文章ばかりの記事を書いてるから、たまにはサラッと、こんな感じも。

オーバーフロー気味のタスクリスト

先週末は久しぶりに競馬記事でも書こうかと思っていたのだが、思っていたより時間がなくて途中まで書いてボツにしてしまった。

結果は3レースやって2レース的中だったが、ガチガチの筋だったので収支はややマイナス。

まあ、そういう買い方をしているからこれでいいといえば、これでいい。

 

閑話休題

9〜11月は仕事もそれ以外もやるべきことやイベントが多い。

考えることが多くて、久しぶりに頭がオーバーフロー気味になっている。

ちょっと書き出して、個人的なメモとして整理しておこうと思う。

 

◯仕事

①新規案件

同僚からの依頼で協力していた新規案件が、社内の承認を得られたので進められることになった。

ちょっと強引に力業で解決した部分もあったが、概ねスムーズに運んだと思う。

いろいろ理由はあるのだが、その案件の担当が私になってしまった。

話の概要は決まっているのだが、特殊な案件なので始まる前と始まってしばらくは少し神経を使いそうである。

その絡みで今月と来月、また沖縄に出張になる。

社長と同行の出張もある。

めんどくさい。

 

②部署の創設

ここ数ヶ月に渡って、社内でのプレゼンテーションがあった。

最初は営業員のスキルアップを目的としたもので、プレゼンの後、皆でざっくばらんにディスカッションすることが想定されていたのだが、最終的にはプレゼン後に管理職や社長が採点して、優勝チームは社長とリッチな会食という残念な形態に変わってしまった。

ご褒美があまり嬉しくないので皆モチベーションは低かったが、尻を叩かれるのでそれなりのものには仕上げねばならない。

で、適当に仕上げたら、私のチームが優勝してしまった。

思わず笑顔が引きつってしまう表彰だったが、加えて仕事が増えることになってしまった。

そのプレゼンの中で、あるサービスの拡充とそれにあたって部署を創設することを提言していたのだが、本当に作るつもりで動くらしい。

それでその検討会議から参加することになってしまった。

やった方がいいとは思うし、自分が適任だという意識もあるが、めんどくさいものはめんどくさい。

 

③休日出勤

今月は3連休が2回あるのだが、そのうち5日は出勤が決まっている。

10月初旬の3連休も仕事である。

それ以外にもやらないといけないことやイベントがあるので最低限バッティングしないようにしているが、そういう日程調整は地味に頭を使うし、そもそも身体が休まらない。

代わりに平日に休みを取るつもりだが、結構出張がたくさん入っていて、スケジュールが限界である。

それだけ。

 

◯それ以外

①引越し

引越しをすることになっている。

今の部屋が手狭で、子供が生まれたらベビーベッドが置けない。

当初、広さや家賃より利便性を重視したためで、仕方ない。

今のアパートが12月に契約更新なので、それまでに引っ越さないといけない。

部屋はこの2週間くらいで決めた。

あとはきちんと契約して、引越しの段取りをするだけである。

ただその「段取りをするだけ」が大変面倒で、引越しの見積りをとったり、新しいアパートにエアコンがないので手配したり、各種インフラの契約や住所変更がどうだとかの手続きが待ち構えている。

めんどくさい。

 

②義父と旅行

数ヶ月前から義父に「(私の地元に)遊びに行きたい。ご実家にも寄ってみたい」と言われている。

妻の実家には、顔合わせを関東でやったのでその際にうちの両親に寄ってもらったが、義父が私の地元を訪ねたことはない。

その必要は特にないとは思うが、そう要望されて無碍にもできない。

義父も一人暮らしで寂しいだろうし、広義での家族サービスだと考えられる。

妻の状態が落ち着くだろう11月初旬を予定しているのだが、その旅の手配をしないといけない。

私の両親とも予定の調整をつける必要がある。

旅程を考えるにもお伺いを立てる相手が多くて、めんどくさい。

 

③イベントとか

毎年恒例のリレーマラソンに仲間10人くらいで今年も参加する。

今年の幹事は私なので、参加者の取りまとめ、申し込み、連絡などいろいろやっている。

年々身体が錆びついてきて、体力も低下しているので、身体作りもしておかないといけない。

あと、毎年恒例の前々職の取引先の人たちとの旅行にも参加することになっている。

こちらは参加するだけ(せいぜい行き先の相談を受けるくらい)。

普通に楽しんでいるし、昨年は結婚祝いをいただいたりとお世話になってもいる。

無碍にはできない。

それ以外にも飲み会だなんだとあって、仕事の予定と調整するのがめんどくさい。

 

 

結局は目の前のタスクを1つ1つ解決していくしかないのだが、先の予定も早めに取り組まないとコストアップするものがあるので、適宜タイミングを考えながら行動する必要がある。

ちょうど今、キャパシティが100%かちょっと超えるくらい。

タスクが解決していけば、もう少し余裕が出るはず。

つまり今が堪えどころ。

こうやって、ちょっと俯瞰しておかないと回りが見えなくなるから怖い。

もちろん、妻のケアは最優先で実行中である。

うちはうち、よそはよそ

妻が久しぶりに友人と食事に出かけた。

しばらくロクに食べられなかった状態から解放され、良い気晴らしになったのではないかと思った。
帰ってきてから楽しかったか尋ねると、「楽しかった」と答えながら、「半分以上、友達の旦那さんの愚痴を聞いてた」とも答えた。
その日は既婚の友人2人との食事だったそうなのだが、2人とも家事をしない夫の不満を述べていたそうである。
そのうちの1人にいたっては、「夕飯に丼物や麺類を出したり、お惣菜を買うと手抜きだと怒られる」そうで、またその子が料理があまり得意ではないから余計に悩んでいるらしい。
今どきそんなことを言う男がいるのかと思ったし、そこまで言うなら自分で作れと思うのだが、まぁ夫婦関係というか家庭の事情は様々なのだろうから、他人がとやかく言うことではないのかもしれない。
少なくとも私がその夫の妻なら、とりあえず実家に帰るくらいのことはする。
 
我が家では私が普通に家事をする。
と言っても、最近は妻が家にいるようになったので、家事の配分は妻の方が圧倒的に多い。
洗い物とゴミ出し、週末の料理と掃除くらいである。
あと、自分の昼食である弁当は作っている。
その程度でも夫がまったく家事をしない彼女たちからすると、今どきの若者風に言って「マジ、神!」らしい。
 
大げさだと思うが、彼女たちにとっては実感のこもった感想なのかもしれないし、ただ大変だなぁと簡単な同情をするしかない。
 
最近は夫婦共働きの家庭が増え、ワンオペ家事・育児なる言葉も登場し、家事を労働と捉えて時給に置き換えてみたりして、「ナンボほど大変やと思ってんねん!」みたいなこともよく言われる。
しかし私の考えはむしろ逆で、家事そのものはやはり仕事とは別の日常生活そのものだと思っている。
だから安易に仕事と比べたり時給換算することは、問題の本質を逸らしてしまうのではないかと思う。
時給換算して金銭価値に置き換えるということは、仮に共働きで夫の方が稼ぎが多かった場合、「俺の方が稼ぎが多いから家事分担は少なくていいだろ」という主張に正当性を与えることになる。
そうではなく日常生活を送るのに必要なこと、飯を食ったり風呂に入ったりすることの延長なのだから、お互いに気持ち良く分担できればいいのではないかと思うのである。
基本は時間と手の空いている方がやればいいし、お互いが自由な時間を均等に持てるように配分すればいいと思う。
2人とも忙しくて余裕がないなら、料理は惣菜を買ったり家事代行を頼むなり、時間と手間を金銭で買うしかない。
 
 
こういう「家事をしない夫」の愚痴を聞くたび、それは話し合ってどうにかできないものだろうか、と思ってしまう。
不満は言わなければ伝わらないし、それを察してくれというのは傲慢だろう。
言っても聞いてくれないとか、話し合いすら難しいような状態なら、そんな相手と何十年も一緒に生活することは苦痛ではないだろうか。
いろんな問題があるのだろうが、そういう生活を続けるということは、そのライフスタイルを許容していることになる。
社会的・文化的背景なんてものはすぐには変わらないのだから、入口の段階で「家事をしない男とは結婚しない」みたいな風潮にならないものだろうかと思う。
 
まぁ、ならないんだろうな。
女性が結婚相手や交際相手に求めることも、そういった生活云々や話し合いができる相手か云々といったこととはズレている気がするし。
 
ともかく、家庭の事情なんてものは様々なのだから、社会一般や他人の家庭と比較するのではなく、「うちはうち、よそはよそ」で互いに満足できるルールで生活すればいいのだろう。
 
そういう愚痴を言う人も、愚痴を言いながらも「相手が好きだから許容できる」とか思っている部分はあるのだろうし。
そんなことを言い出せば、未来永劫この問題は解決しない気がするが。
ちなみに私が率先的に家事を行う理由の一つは、空いた時間を好きに使っても文句を言われないようにするためでもある。
自由な時間くらいゲームしたいし。
最近はMMORPGにハマっているので、仲間と一緒に狩りに出かけたりする。
妻はその間、自分が放ったらかしにされるのが気に入らないらしい。
まぁそんな不満も「うちはうち、よそはよそ」ということで、大目に見てもらいたいものである。