異呆人

毒にも薬にもならない呟き

2017 北九州記念、札幌記念 〜予想〜

・TV西日本北九州記念

◎:13キングハート

◯:7アルティマブラッド

▲:8ファインニードル

△:2アクティブミノル

△:9ダイアナヘイロー

△:17ブレイズエターナル

 

荒れることもある小倉の夏の芝スプリント戦。

ただし前走までの着順や人気は上位の馬が複勝圏内に入ることが多いので、穴馬を探しながらも実力馬はきっちり抑えておく必要がありそう。

 

本命はキングハート。

前走、函館Sは後ろからよく伸びて2着。

近走は連対を外したことがなく、実績も安定しており、この中では力上位だろう。

小倉の成績が1-2-0-0でもあり、軸として信頼できそう。

 

対抗はアルティマブラッド。

前走のCBCは直線で進路が塞がり、やる気も見せずに大敗。

しかし前々走では函館S2着のキングハート、アイビスSD2着のフィドゥーシアと差のない競馬をしており、実力はあると考えられる。

前走は少し間隔が空いていたし、鞍上も松若騎手に戻るので今回は勝負になるだろう。

 

単穴はファインニードル。

前走は好位から手応え良く抜け出して完勝。

しかし上がりの脚はあまり速くないので、直線ヨーイドンになると苦しいか。

展開と、前走勝ったデムーロ騎手の腕次第でかもしれない。

 

アクティブミノルCBCアイビスSDというタイトな臨戦過程が気になるが、近年はアイビスSD経由の馬も勝っており、内枠を利してロスなく先行できればワンチャンあるかも。

上がり馬のダイアナヘイローは、このメンツで力が通用するかどうか。

継続騎乗の武豊騎手に期待したい。

ブレイズエターナルは美味しい穴馬にならないだろうか。

前走1番人気に次ぐ複勝率の前走7番人気で、小倉は0-2-1-0の成績。

末脚は良いものがあるので期待。

 

札幌記念

◎:3ヤマカツエース

◯:13エアスピネル

▲:5マウントロブソン

△:4ロードヴァンドール

△:8ツクバアズマオー

 

夏競馬唯一のG2レース、芝中距離戦。

G1馬も多く出走し、単勝1番人気の連対率は80%。

勝つかどうかは置いておいて、複系馬券がメインなら実績馬を多く買う方が良さそう。

 

本命はヤマカツエース

前走G1に格上げされた大阪杯を3着、今年からその前哨戦となった前々走の金鯱賞は1着。

札幌記念は2年連続で掲示板止まりだが、軸とするのに特段嫌う理由は見当たらない。

メンツを考えても、間違いなく力上位だろう。

 

対抗はエアスピネル

こちらも勝ち切れないことが多いが、安定した実績を誇る馬。

今回鞍上が武豊騎手からルメール騎手に変わることが、吉と出るか凶と出るか。

 

単穴はマウントロブソン

前走は9ヶ月ぶりながらきっちり勝った。

実績はまだまだだが、ひと叩き入った上積みを期待したい。

鞍上のモレイラ騎手が個人的にはちょっと不安ではある。

 

パッと見、逃げそうなのはロードヴァンドールかマイネルミラノ

すんなりハナを取って逃げられれば、ロードヴァンドールはいいとこ行くかもしれない。

あとは4ヶ月ぶりで重馬場だった函館記念を度外視して、ツクバアズマオーでも抑えておく。

G2、G3クラスでは勝負になる馬。

今回は楽な相手ではないが、叩き2戦目で復活を期待したい。

サウンズオブアースはドバイ帰りで5ヶ月ぶり。

さすがに今回は様子見したい。

 

連敗中なので、今週はどちらかは勝ちたいなぁ。

一攫千金狙いで、北九州記念の方に期待。

パンパンであることでスマートでいられる

今週のお題「カバンの中身」

syuten0416.hatenablog.com

 

そういえば、1年くらい前にカバンの中身に関する記事を買いていたことを思い出す。

この記事の後半の文章がお題の内容そのままで、私のカバンの中には雑多なものが詰め込まれている。

ちなみにちょうど先日、仕事カバンを修理に出したところである。

持ち手の部分の中の紐が切れていた。

それを覆っている皮革が丈夫で、とりあえず切れてはいないから普通に使えるのだが、外出中に切れたりすると非常事態なので、先にメーカーに送って修理してしまうことにした。

5年くらい前に買ったフジタカのカバンである。

5万円くらいだったか。

私は同じものを修理しながら長く使う習性がある。

持ち手1本が5000円とか高いなぁと思ったが、元の値段が高いし、気に入ったものを長く使うためなので仕方がない。

ちなみに、修理している間に使うカバンを買ったのだが、セール品で半額になって5000円だった。

持ち手1本と同じ値段である。

 

さて、そんな事情があったので、カバンの中身を全部出してしまう必要に迫られた。

たくさんあるポケットから引っ張り出して並べているのを見た妻が、「そんなに入ってるの?」と言うくらい店を広げてしまった。

重たいものは書類程度だが、細かいものが多い。

ちょっと、用途別に分類してみようかと思う。

 

◯仕事用

・パンフレット

・研修資料

・新規開拓用資料

・新規開拓先リスト

・手帳

・電卓

・コピー用紙

・ボールペン2本

・朱肉セット

・名札

 

いついかなるときにビジネスチャンスが訪れるかはわからない。

突然、商談になってもいいように、新規開拓用の資料は常に持参している。

パンフレットも同じ。

またあらかじめリストアップしている見込み先のリストも常に持っており、急に時間が空いたときに近くの飛込み先がないか確認し、訪問できるようにしてある。

研修用の資料も、いつ訪問先で販売員から「こんなときにはどうやって対応すればいいですか?」と聞かれてもいいように、スタンダードな内容のものを常に持ち歩いている。

実際、話の流れでそれらを取り出すことは、しばしばある。

白紙のコピー用紙も常に2,3枚持っている。

手帳を破って渡すのが嫌なので、誰かにメモを手交する用である。

手帳はメモ用。

昨今はスマホでも代用できるが、手で書く方が早いし、手帳に書き込んでいる方が印象が良い。

ボールペンは普段は胸ポケットに差しているが、忘れたとき用にカバンに潜ませている。

2本入っているのは、長く予備を入れているとインクが出ないことがあるためである。

朱肉セットは印鑑を押すときのゴム台とセットになったもので、書類に印鑑をもらう仕事をしていると、1つカバンにあれば大車輪の活躍を見せる。

たまに店頭に立つことがあるので、あまり使わないが名刺を入れて首から提げられる名札も常にカバンに入っている。

ちなみに出張時はこれに加えて、自称「七つ道具」という、あらゆるシーンに対応できる資料をフルコンプしたファイルを持って行く。

これを入れると重量が跳ね上がるので、普段は持っていない。

 

◯身だしなみ用品、薬

・顔拭き用シート

・オーデコロン

ミンティア

・ブレスケア

・リップクリーム

・目薬

・頭痛薬、胃薬、下痢止め

・歯磨きセット

 

外回りの営業なので、身だしなみにはそれなりに気を遣う。

会う相手に不快な思いをさせないように、口臭とか汗とか臭い対策はしっかりする。

そういうちょっとした印象が、実際にビジネスに影響を与える。

くだらないと言えばくだらないのだが、世の中というのは印象のようなくだらないことの積み重ねで成り立っている。

バカにしていると、足元をすくわれる。

私は肌などが乾燥気味なので、リップクリームは主に冬場に使う。

目薬は充血対策用。

胃薬と下痢止めは緊急用だが、頭痛持ちなので頭痛薬は欠かせない。

昔はこれに加えて爪切りや耳かきのセットを持ち歩いていたが、使用頻度が少ない上に一緒に入っている鼻毛切り用のハサミが空港のチェックで引っかかるので、今は手荷物で預ける用のカバンに入っている。

 

◯その他

・折りたたみ傘

・イヤホン

スマホ用充電バッテリー

・ポケットティッシュ

・ウエットティッシュ

・カードケース

・割り箸

・銀行印

・扇子

 

上記その他の上からウエットティッシュくらいまでは、私にとって常時携行品である。

カードケースは、ポイントカードの類が何十枚と収納されている。

出張族なので、全国各地のいろんな系列のホテルのポイントカードを持っており、いつどこに泊まってもいいように持ち歩いている。

カード類はとても財布には収まらない量である。

割り箸は、コンビニやスーパーでご飯を買ったときに、付けてもらうのを忘れたとき用。

1膳、潜ませていると、これもとても便利である。

扇子は最近使っていないが、入れっぱなしになっている。

あと、銀行印も。

昔勤めていた会社では経費精算に必ずシャチハタではなく認印を押さなければならなかったのだが、私が認印は銀行印1本しか持っていなかったので、その度に持って行くのがめんどくさくて、持ち歩く癖がついてしまったせいでカバンに入っている。

扇子と銀行印は、良い機会なので抜いておくか。

 

これだけ入っているせいで、私のカバンは常にパンパンである。

しかも重い。

だがパンパンと言っても小さいものが多いので、普通サイズのビジネスバッグに収まる程度だし、重いのはトレーニングだと思うことにしている。

だいたいこれだけ入って入れば、普段起こり得る大抵の事態には対応できるので、重いくらいはわけない。

重さよりスマートさ。

「しまった、準備がなかった…」となることの方が、私にとっては遥かにダメージが大きい。

逆に、必要なときにさっと取り出せると、会心の一撃を放つこともある。

カバンの中身が、ピンチをチャンスに変えてくれることもあるのだ。

言葉の違い、文化の違い、及び海外旅行について

先日、親友に誘われてランニングに出かけた。

親友は今、大学院に通っている。

専門職で勤めていたのだが、退職して大学院に入り直した。

その分野では実務経験を積んでから大学院に入ることが一般的なので、珍しいことではない。

運良く、卒業後の大学講師としての仕事も決まっているらしい。

そんな彼の大学院での友人たちとランニングすることになったのだ。

歳の頃は皆同じくらい。

一人だけ、ケニアからの留学生が混じっていた。

まだ日本に来たばかりで日本語がほとんど話せないので、日時のやり取りをするLINEもEnglish only。

優秀な大学院生である彼らは問題なく英語が話せるが、私は英語が話せないのでLINEのやり取りはただ眺めているだけだった。

読むことはできる。

 

当日、まだほとんど日本を観光したことのないケニア人の彼女のために、メンバーの一人が浅草寺までのランニングルートを企画していた。

往復約10kmほど。

ちなみにケニア人と言っても、彼女は親友と同じ分野の研究者として来日しており、陸上競技経験者ではない。

跳ねるようなバネのある走りは流石だなと思ったし、たぶん素質はあるのだと思うが、特別速いわけではない。

ケニア人なら走るの速いでしょ?」というのは、「大阪人ならノリツッコミができるでしょ?」というのと、同じくらいの偏見である。

そんな彼女は別の集まりでラグビーをしたときに膝を負傷したらしく、最初は良かったものの最後は痛そうにしていた。

怪我してるなら走らなければいいのに、何事にも貪欲に挑戦するあたり、流石は日本まで来て知識や技術を吸収して帰ろうという留学生である。

 

会話はほぼ英語だった。

私も見よう見真似で会話に参加した。

リスニングは大体できたが、私の拙い英語がどれだけ伝わったかは不明である。

別にケニア人と会話するからといって、特別変わったことはない。

言語が英語に変わっただけで、話している内容はたわいない世間話みたいなものである。

そういう意味では、違う国や文化の人とコミュニケーションを取るということは、多様な価値観を学ぶ機会にもなるが、特段素晴らしい効用があるというわけでもないと思う。

別に日本人同士だって、受け容れられるかどうかは別にしていろんな人がいる。

英語は話せないより話せた方がいいだろうが、それはつまりその人の人生における費用対効果の問題だろう。

私なぞは拙い英語が話せれば十分だし、必死に練習して英語がペラペラになったとしても、日常生活や収入にさしたる変化はない。

 

ただ、目の前に英語しか通じない相手がいる状況においては(ちなみにケニア人の彼女の母語は英語ではないらしいので、この表現は適切ではない)、もっと私の英語が流暢ならもう少し面白い会話ができるのにな、とは思う。

だが英語を習得しようという強いモチベーションまでは湧いてこない。

ちなみに私は海外旅行を一度もしたことがない。

日本にだってまだ行ったことのない土地がたくさんあるのに、わざわざ海外まで費用をかけて行くだけの動機がない。

これは海外旅行の価値を否定しているのではなく、私にとっては費用対効果が低いというだけである。

私の旅行の動機は、ほんの少し非日常が味わえて、美味しい料理を食べて、宿でダラダラしたいというものである。

これは近場の安い温泉宿でも十分達成できる。

 

そんな私ではあるが、新婚旅行はオーストラリアに行こうとしている。

もちろん私が行きたいわけではなく、妻が行きたいだけである。

私なら同じ費用で国内のデラックスな旅行をする方が余程嬉しい。

まぁでも、一生に一度くらいは日本から出てもいいかなとは思う。

こんな機会でもない限り、海外旅行などしないだろうし。

私の拙い英語はほとんど通じないだろうが、どうせ現地添乗員付きのツアーか何かにするつもりなので大した問題はないだろう。

でも高いんだよな、費用が。

結婚式でも感じたが、「一生に一度」という魔法の威力は恐ろしいものがある。

心の動きが読めること

結婚してこの方、とても妻に気を遣っている自分に気づく。

「気を遣わないでいい相手」だと思ったのが妻を選んだ理由の一つであり、それはたぶん他の多くの女性と比較して間違いないことではあるのだが、どうにも私の性分の問題らしい。

結局、本当に気を遣うのが面倒なら、ずっと一人で生活するしかなかったということだろう。

後悔するほどの何かがあるわけではないが、新しい事実に気づかされたような複雑な気持ちではある。

 

私は相手の思考を読むのが得意である。

それは当然ながらエスパー的な能力ではなく、単に観察力から導かれる推論の集積と言える。

幼い頃は、たぶん比較的厳しく躾けられたので、とにかく怒られるのが嫌だった。

褒められたかった。

だから相手の顔色を伺うことばかりしていて、結果、それが相手の考えていることを読み取る能力につながっている。

「怪我の功名」ではない。

相手の気持ちがわかって、良いことばかりではない。

というより「知らぬが仏」とはよく言ったもので、気づかない方が気持ちよく過ごせるだろうなと思うことも多い。

むしろ、そんなことの方が多い気がする。

少なくとも、面倒なことは少ないはずである。

 

幼い頃の私は、この観察力と推察力と無駄な正義感が高く、そのせいで最終的に自分自身を大きく変えてしまうほどの深手を負うことになる。

それ以後は、積極的に相手の気持ちを汲まないようにしてきた、つまり「あえて空気を読まない」でおくようにしてきた。

しかしそれは「相手の気持ちがわからない」のではなく、「気持ちは推察できるが無視する」ということである。

それは、口で言うほど容易くはない。

一度意識に入った情報は、意識的に無視しようとしても、意識下で行動を制約する。

いろんな状況に遭遇し、試行錯誤を重ねていった結果、そのことに気づいた。

だから20歳前後くらいからは、自然体で生きている。

わかってしまう相手の気持ちをどうするか、そのときの状況や気分で判断する。

積極的に汲んで先回りして、物事がスムーズに運ぶように仕込むこともあれば、あえて無視して傍観に徹することもある。

知ってしまうことを、知らないことにはできない。

ただし、知らないフリをすることはできる。

知らないフリをすることに良心の呵責が生まれるなら、それは相手の気持ちを汲むべき状況である。

知らないフリをする方が状況が良くなると判断するなら、そんな良心の呵責は生まれない。

 

相手の気持ちがわかると、人に好かれてしまう。

「居心地の良い相手」と認識される。

それはある意味当然で、相手の動きを見て、私が自分の動きを変えているからである。

サッカーで言えば、味方のポジションを見て、自分のポジションを変えるようなものである。

そして「パスがほしい」と思うときにはすでにパスを出しているし、「ここにいてほしい」と思う場所にはすでに走り込んでいたりする。

「勝手に周りに人が集まって羨ましい」と言われたりするが、それは私が周りの人に特別何かをしてあげているからではない。

ある程度まで「オート」で行われる相手に合わせる機能が、十分以上に働いているというだけである。

 

相手の心の動きを読むことが観察力の賜物であるからには、私は常に膨大な周囲の情報を読み取り続けているということになる。

「よく見ている」、「よく聞いている」と言われるが、無意識に情報を取り込み続けるのである。

そして記憶力が良い私は、その膨大な情報を覚えてしまう。

そのビッグデータの分析が、相手の心を読むことにつながる。

インプットが膨大なので、私はこうやって大量の文章にアウトプットする。

そうしないと情報が整理されず、結果的にバランスが取れなくなる。

思考に一旦区切りをつけるために書く。

 

ほぼオートでやってるくせに、これはとても疲れる作業なのである。

エネルギーを消費し続ける。

残念ながら、私はエネルギー量も膨大なので、それに耐えてこのスキャニングのような作業を続けられてしまう。

だから、普段家で接する妻には、できるだけ私がエネルギーを使わないように、思っていることや要望は言ってほしいと思うのである。

これは付き合った当初に、私が妻に唯一お願いしたことである。

気持ちはわかってしまうが、それが正しいかとか、どの程度汲むべき要望なのかとか、せめてそういった推察をしないでいいようにしてほしいのだ。

できるだけ応えてくれているとは思うが、やはり人間、気持ちを溜め込んでしまうものである。

だから伝えてくれない気持ちの余白を、私はせっせと読み取ろうとしてしまう。

つまりこの機能を使わないためには、結局一人でいるしかないのだ。

 

だから私はずっと一人だったし、家にはテレビを置かなかったし、静寂や暗闇が好きだったのだ。

と、今更ながらに辻褄が合うことに気づいてしまう。

まぁ、エネルギーをフル使用できるのは、都合の良い部分もあるのだが。

ままならないもの、矛盾みたいなものを抱えて、人間は生きていかないとならないのだなと、これもやはり今更ながらに思ってしまう。

3年分のコンタクトレンズとボラティリティ

妻がコンタクトレンズを買った。

と言っても、もうずっとコンタクトレンズのはずである。

たまに眼鏡をかけていることもある。

それ以外のときにコンタクトレンズをつけているかどうかは、見ただけではわからない。

妻の自己申告によると、一番多いのは何もつけていない状態らしい。

必要なときだけつけているらしい。

だからコンタクトに関するこだわりはないらしく、前回買ったときは勧められるままに2weekにしたそうだ。

だが実際にはつけたりつけなかったりなので、1dayの方が都合が良いと気づいたらしい。

それで今回改めて買うときは、1dayを買ったそうな。

それもなぜか3年分まとめて。

 

それを聞いたとき、「はっ!?」と思った。

いくつ買ったのか知らないが、買った個数や値段は問題ではない。

3年という期間の長さが問題である。

「それ、視力が変わったらどうするの?」

「う〜ん、でも良くなることはもうないと思うよ」

「そりゃそうだよね。悪くなったらどうするの?」

「それは…、そのとき考える…」

などというやりとりをした。

つまり、深く考えずに勧められるままに3年分買ったということだろう。

まあ、妻が自分の金で買ったものなので、難癖つけることではない。

が、もう少し考えて買い物をしてほしいなと思う。

 

金融の用語に「ボラティリティ」というものがある。

資産価格の変動の大きさを表す指標である。

ボラティリティが大きいほど、その資産を保有するリスクが大きくなる。

投資商品であれば、ボラティリティが大きいものは値上がり幅も大きければ、値下がり幅も大きくなる。

そしてこのボラティリティ保有期間が長くなればなるほど、一般には大きくなる。

つまり資産を保有し続けるということは、リスクを大きくするということである。

これは金融商品における考え方であるが、未来が不確定である以上、他の様々な資産にも当てはまる部分があると思う。

 

コンタクトレンズの在庫だって、立派な資産である。

しかしコンタクトレンズの価値が大幅に上がることは考えづらい。

はっきり言うなら、劣化するなど、価値は下がる一方のはずである。

もし視力が変わって使えなくなってしまったら、価値は一気に0になってしまう。

まとめて買うといくら安くなるのか知らないが、それなりにリスクが大きい。

安くなった分以上に無駄にしてしまう可能性もある。

せめて1年分とかにしておけなかったのか。

 

ただ、資産価値が変動するからと言って、何でもかんでも買い溜めするなというわけではない。

むしろ適切な在庫は、経済的にも労力の面でもプラスに働く。

要は、在庫するなら使い切れることが明確に見込める分だけにするべきだということである。

生鮮食品は食べ切れない可能性があるので、基本的には買い溜めないように妻にも言ってある。

妻はいろんな食材がストックされている方が料理のバリエーションが広がると思っているようだが、使い切るために余分に料理を作ったりしてしまうので、やはりトータルで考えれば損をしていると思う。

生鮮食品以外の食品も、ほとんど買い溜めしない。

賞味期限があるものは、やはりリスクがある。

そしてそんな加工食品は、なければならないというものではない。

ないなら食べないだけのものが多い。

 

日用品もあまり買い溜めない。

より機能の優れているものが発売される可能性がある。

使い切るまでは旧商品を使えばいいのだが、これも余分に買い溜めてなければすぐに良いものを使えるのである。

そもそも買い溜めする理由は値段が安いからということが多いのだが、スーパーなどのセールだって結構頻繁に催されている。

1ヶ月に1度か、2ヶ月に1度か、3ヶ月に1度かわからないが、定期的に安くなったりするものである。

なら、使用頻度とセールの頻度を考慮して、買い溜める量を決めた方がいい。

数ヶ月に1回くらいしか買わない商品なら、安いからといってわざわざ2個も3個も買う必要はないだろう。

 

3年分のコンタクトレンズをまとめ買いしてしまううちは、妻に安心して買い物を任せられないなと思う。

まあ、もう買ってしまったものは仕方がない。

こうなれば、妻の視力が落ちないように注意を払うしかない。

暗いところで漫画を読んでいたら明かりをつけてあげたり、いつも食べるヨーグルトやパンに塗るジャムをブルーベリーにしてあげるくらいしか、私にはできないかもしれないが。