異呆人

毒にも薬にもならない呟き

アンチ・悲劇のヒロイン

盆休み、実家に帰省中である。

普段の家事の煩わしさから解放され、のんびりしたいところなのに、さっそく母親に怒ってしまい、ストレスフルである。

きっかけは毎年恒例の親戚一同での墓参り&BBQ中、実にしょうもないことで母親が機嫌を悪くし、実にしょうもない悪態をついたことにある。

それに対して、弟と私が一緒になって怒ったのである。

母が怒っているのは父に対してであって、それは後からいくらでも直接文句を言ってくれればいいのだが、他の親戚がいる前で悪態をついては子供みたいに拗ねるので、その場の雰囲気が一気に悪くなってしまった。

甥や姪や従兄弟の子供たちなどもいて、せっかく夏休みのイベントを楽しんでいるのに、おばあちゃんになっている「いい大人」がすることではない。

それでまた食器を片付けるときに、母がグラスをわざとガチャガチャしたから割れてしまい、子供らがいるから危ないのに悪びれもしなかった。

もう火に油を注がれるようなもんである。

義妹からは「お義兄さんが怒ると一番怖い」と言われた。

私は激昂して声を荒げたり、手を上げたりはしないのだが、正論を次々叩きつけて相手を追い詰めてしまうのでよくない。

「おとなげない」と言うなら、私も人のことを言えたものではない。

 

まぁ、母親の不満もわからないではない。

父親は自分に都合の悪いことはまともに取り合わない。

悪いところがあって注意しても聞かないし、聞かないから一向直らない。

私などは諦めている。

母などは私より長い付き合いなのだからうまく折り合えばいいものを、未だにずっとグチグチ言う。

悪いのは、父が悪い。

しかしそれを改めてもらおうなんてのは難しい話で、他人に期待しすぎだと言える。

他人は変えられない。

嫌なら自分が変わる、うまく折り合うか、さっさと別れてしまえばいい。

もう何年も前に私がいるときに喧嘩したときも、「さっさと離婚したらいい」と私が怒ってしまい、後日、離婚協議専門の弁護士を紹介しようと母にメールを送ったのだが、「すみません、私が悪かったです」と断られてしまった。

 

母は尽くすタイプである。

相手のためを思って行動できる。

それは良いことなのだが、それが過ぎると「自分はこれだけやっているのに、相手が何もしてくれない」という考え方になってしまう。

結局そういう行動は自分のためにしているものなのだが、なかなかそういう風に思えないのが人間である。

そして自分だけが不遇をかこっているように感じてしまうのである。

都合が悪くなれば、最後は「どうせ私が悪いんでしょ」と変な自虐に走る。

悲劇のヒロイン症候群などと呼ばれることもあるが、私はこれが嫌いだ。

良いとか悪いとかではなく、好き嫌いのレベルで嫌い。

 

現状を受け入れるか、戦うか、なんだよなと思う。

どんなことでも。

現実の問題を解決するための行動を取らず、センチメンタルに傷を舐めることは見ていてみっともない。

自戒を込めて。

誰にだって、つらいことの一つや二つある。

境遇も違う。

程度の差はあるが、その大小なんて比較でしかなく、本人にとっては比べても仕方ないものなのである。

自分の痛みは自分だけのもの。

分かち合えないから価値があり、抱えているから味がある。

見せびらかしてわかってもらおうとするくらいなら、言葉で、行動で状況を変えようとすることの方がよほど美しい。

まぁ、自分も全然そんな風に生きられていないのだが。

 

とはいえ、私は最近ちょっと周りにキツ過ぎるのかもしれない。

言ってることが間違ってなくても、言い方が良くないのはある。

反省。

何か、そんなことばかりの夏。

お盆休みと新幹線とジェネレーションギャップ

ここ数日、書きたいことがいくつかあったのに、なかなかブログに振り分ける時間がなかった。

時間がなかったというより、私は妻の前でブログを書かないことにしているので、書く隙がなかったと言っていいかもしれない。

妊娠後、妻はつわりが重くて主に家で突っ伏している。

妻が常に家にいると、私はブログを書けない。

加えて今、家事は私がほとんどすべて行っている。

普段から家事配分は多めにやっているつもりなのだが、仕事をしながらほとんどすべての家事をやるとなると些かしんどい。

暑さも盛りの今日この頃、年齢的にも「体力に余裕があります」と言えるほどではない。

普段からワンオペ家事とか育児とかやってるご婦人方は、さぞかし大変だろうなと思う。

 

さらに、仕事でちょっとしたいざこざがあった。

私が担当しているある取引先から、「担当を変えてほしい」という申し出があったらしい。

その取引先の担当者からは今までにも何度か苦情めいた申し出があり、またかという感じだった。

はっきり言って、私と馬が合わないのだ。

最初の苦情だけは完全に私が悪かったなと思ったが、他はほとんど言いがかりである。

今回の件も似たようなものだった。

私としては「私が悪かったです」と言うべきところなのか、「いや、言いがかりでしょ」と食ってかかるところなのか、悩ましいところだった。

私は冷静で落ち着いていることがウリではあるが、筋の通らないことを簡単に認められない性分で、相手が誰だろうが譲らないときは譲らない。

数日、本当に私を担当から外すべきか、外したらその後の体制をどうするか、そんなことをすったもんだ社内でやっていて、その間ずっと悶々としてストレスフルだった。

 

それが、思わぬ方向でオチがつく。

「いや、担当を変えるなんて、とんでもない」と先方が言い出したのだった。

その取引先からの苦情を受けたのは、形の上でその取引先との話を仕切ることになっているB部長だった。

このブログにも遣る方無い憤懣を何度か書いているのだが、B部長は社内でも仕事をしないことで有名な人である。

とりわけその被害を多く被ってきたのは一緒に仕事をする機会の多かった私で、数少ない私が嫌いな人である。

私の嫌悪感はおそらく伝わっており、相手も私を疎ましく思っていると思う。

今回の苦情はそんなB部長が窓口となって受けたので、別のA部長が念のために苦情の温度感を他の営業員に探らせた。

そして前述の発言に至る。

「苦言は呈したが、仕事はよくやってもらっているし、変えられるのは困る」と。

むしろ「B部長が全然話に取り合ってくれなくて困る」と言われたらしい。

先方が前言撤回したのか、B部長が温度感を掴み損ねたのか、あるいは誰かの悪意があったのか、真相はわからないまま事は丸く収まった形にされた。

私の怒りと自己嫌悪は、どこにも行けずに私の中を回遊している。

そんな状態で、お盆休みである。

 

小田原から地元の大阪に向かう「ひかり」に乗る。

新横浜に出るのは少し面倒なので、住居を変えてからこの1年くらいはそれがお決まりのルートである。

その新幹線の中で、カタカタとキーボードを叩きながらこの記事を書いている。

妻は置いていくことにした。

自分の実家に帰ってもらい、のんびりしてもらった方がいいだろう。

義実家に行っても、ストレスにしかならないと思う。

私は祖母が今年に入ってから亡くなっているので、新盆ということもあり、帰ることにした。

供養のやり方というのはいろいろあるだろうし、私の考え方もそれとは別にあるが、まあ「郷に入っては郷に従え」である。

 

そういえば、私の中で「ひかり」のイメージは昔の0系とか100系の車両のイメージである。

あの丸っこい鼻の、どこかしら愛嬌のある例のアレである。

私がまだ少年だった頃に「のぞみ」は登場しており、シャープな車体と従来の車両より大幅に最高速度が伸びたことに興奮したものだったが、それでも私の中での「新幹線」はあの丸い鼻のイメージなのである。

「新幹線の絵を描いて」と言われたら、迷わずあの鼻から描き始めるだろう。

それだけ0系の車両というのはキャッチーだったと思う。

もし今の子供たちに「新幹線の絵を描いて」とお願いしたら、N700系の車両を描くのだろうか。

あるいは青いラインの入った東海道新幹線ではなく、赤い「こまち」や緑の「はやぶさ」といった東北新幹線を描く子供もいるかもしれない。

0系車両なんて、興味を持って調べでもしない限り、知る機会はないだろう。

 

話は変わるが、皆さんは「ひらけ!ポンキッキ」をご存知だろうか。

あるいは「ポンキッキーズ」と言った方が通りがいいだろうか。

どちらにしろ、あの有名な赤と緑の怪物が登場する子供向けのTV番組である。

あの番組は放送されていた時代によって、名前が少し変わっている。

それが前述の「ひらけ!ポンキッキ」と「ポンキッキーズ」である。

私が主に視聴していた時分は「ひらけ!ポンキッキ」だったのだが、その話を妻にすると「『ポンキッキーズ』なら知っている」と言われた。

妻は私よりほんの少し歳若いだけだが、それでもジェネレーションギャップは存在する。

概ねどうでもいいことについてなのだが、私が会話に織り交ぜる細かいネタが通じないことがしばしばあって困る。

私はそういうわかる人にだけわかるライン際ギリギリを攻めるトークが好きなのだが、妻のジャッジにおいてはラインアウトになるようである。

いわんやそれより若い世代においてをや。

 

仕事で接する取引先の現場のスタッフたちは、ハタチ前後の若い人が多い。

最近は書類で「2000年生まれ」とか見て、少したじろいだ。

何もたじろぐほどのことではない。

2000年生まれだって、もう18歳である。

今のご時世では立派な有権者となっている。

私はまだまだ若いつもりでいるのだが、物理的な隔世を少しずつ感じる機会が増えている。

前述の仕事の件では上司から「お前も30代半ばなんだから、そんなに尖ってないでもう少し丸くなれ」と諭された。

言わんとすることはわかるし、そうでなければなと思うこともある。

いや、これでも丸くなった方だと思うよ。

でも、「そんな大人になりたくない」と思ってた時期もあったし、かたや「そんな跳ね返り方がカッコいいなんて思ってるなよ」という気持ちもあるのだ。

 

なんて、のんびり独り帰省なので自省してみたり、どうでもいい思考を広げてみたりする。

M君の思い出

時間が取れなくて、書きかけた記事を、すっかり干からびるほど放置していた。

消そうかと思ったが、8割くらい書いていたので、投下する。

書き出しに時間軸の違和感があるのは、そういうことだと思っていただきたい。

 

* * * * * * * *

梅雨はすっかり明けたというのに台風由来の豪雨が降りしきり、西日本の各地で大きな被害を出している。

多くの人々が命を失い、それ以上に多くの人が避難生活を強いられている現状を思うと遣る瀬無い。

亡くなった人、行方のわからない人の中には、若い人もいるようである。

老い先短いご老人だから死んでもいいかというとそうでもないが、やはり酸いも甘いもまだまだこれから知るであろう人たちが前途を失うのは、想像するに辛いものがある。

しかし、災害というのは突然訪れるもの。

事件や事故も、病もしかり。

人の命はいつどのように失われるかわからない。

私自身は毎日思い残すことなく生活しているし、いつ死んでもいいと思っているが、万人がそう思えるわけではないことは理解している。

 

若くして亡くなるというと、私は高校の部活の後輩のM君のことを思い出す。

彼は大学生のときに、実家の火事で命を落とした。

聞いた話によると、一度家から出ながら、家に残った猫を助けに戻ったそうである。

「バカだなぁ」と思うと同時に、彼らしいなとも思った。

自分らしく生きて、自分らしく死んだと言えるかもしれない。

私はもうそのとき地元を遠く離れたところに住んでいて、線香の一本もあげてやれていない。

まぁ弔い方というのは生きてる側の人間の問題なのだから、私が彼の死について自分なりに整理をつけられるなら、線香や弔花なんてあってもなくても同じであろう。

 

M君は私の1つ歳下だったが、部に入ってきたときから有名人だった。

というのも、私の1つ歳上に彼の兄がいたからである。

同じ学校の同じ部活に兄弟が所属することは、その道で知られたよほどの体育会系でもない限り、あまりないことだろう。

しかも陸上部にして、兄弟で同じ種目である。

あえて合わせたのか、たまたまなのか。

M君の兄はいじられキャラの面白い人だった。

「なあなあ、〇〇、聞いてや〜」と仲間に愚痴るのが口癖で、メガネで線の細い、味わいのあるキャラクターだった。

対して弟のM君は、兄と比べて筋肉質で気が強く、兄と比べられることを嫌がった。

まぁいじられキャラなのは兄弟同じで、M君は今でいう「キレキャラ」みたいな感じだった。

 

M君の学年には、F君という長距離種目でとても強い選手がいて、厳密には種目が違うのに、M君はやたら彼をライバル視していた。

1つ歳上の私は長距離のパート長で、彼らの練習メニューを作成する立場にあったのだが、F君だけは別メニューを与えていた。

そうでないと練習にならないくらい強いのである。

正直、公立高校の一学生が練習メニューを考えてあげるような相手ではない。

だから仕方ないのだが、M君はどうにもF君を特別扱いすることが認められなかったらしい。

噛んで含めるように説明して理解はしてくれるのだが、納得するかどうかはまた別の問題である。

 

だから私の代が引退するとき、次のパート長を誰にするかとても迷った。

代々、次のリーダーは上の学年が指名することになっている。

実力でいえば、F君がリーダーにふさわしい。

しかしF君はワンマンなところが少しあり、M君や他にも折り合いの悪い部員がいた。

そこでK君という別の子をパート長に指名したのだが、どうにもそれがうまくいかなかったらしい。

結局、K君はチームをまとめられず、F君が仕切るような形になり、M君は「なんでリーダーでもないのにお前が仕切るんだよ!」と反発するという、あまり良くない構図ができてしまった。

 

私は引退していたが、その内情を伝え聞き、少しの間、足繁く様子を見に行くことにした。

私が行くたび、M君は「ちょっと、朱天さん聞いてくださいよ!」と愚痴を言った。

(この言い方、兄に似てるなぁ)とか思いながら、私は彼をなだめた。

M君はわりと故障がちな選手で、よく更衣室の前で筋トレをしていた。

その補助をしながら、私は彼の愚痴を肯定するでもなく否定するでもなく、相槌を打ちながらただ聞く。

「まぁお前の言ってることもわからんではない。でもFにはFのやり方があって考え方がある。指図されることが腹立たしいかもしれんが、そこはお前が大人になってやれ」

などと、私はアドバイスにもならんような能書きを垂れる。

M君がどんな気持ちで私の話を聞いていたのかは知れない。

ただ、彼は私が顔を出すことを喜んでくれた。

 

大学に入るとM君は陸上競技を辞め、合気道か何かを始めていた。

私も彼もOB会には顔を出していたので、何度かそこで顔を合わせた。

それから私が沖縄にいるときに、その合気道の合宿で沖縄に行くので会えないかという連絡があった。

結局、M君が合宿を抜け出す暇がなく会えなかったが、連絡をくれたこと自体が嬉しかった。

確か、私がM君と連絡をとったのはそれが最後だったように思う。

 

私は翌年に就職し、新潟に転居した。

そしてその年、M君が亡くなったという知らせを受けた。

私は急に地元に帰ることもできず、通夜にも告別式にも参加できなかった。

伝え聞いた話によると、実家が火事にあったらしい。

M君は火の手が上がった家から一度は逃げ出しながら、飼い猫が中に残っていると言って戻ったそうだ。

そして、そのまま出てこなかった。

不謹慎かもしれないが、「らしいなぁ」と、私は思った。

高校生の頃、他の仲間とぶつかっていたのも、正義感のようなものだったのだろう。

そうであるなら、彼は、彼らしく生きて彼らしく死んだのだと思う。

 

自分の周りで、同年代の人が亡くなったというのは初めてだったので、当時はそれをどう消化すべきか考えた。

ショックを受けたわけではないし、難しく考えたわけでもない。

むしろ、そういう風にセンチメンタルに処理することが適当でないように思えた。

やはりどこまでいっても彼は私ではない別の人間で、また、死ぬということはそれ以上でも以下でもないことである。

「彼の分まで生きる」と考えることも、「彼を忘れないことが自分にできることだ」と考えることも、何か違う気がした。

「供養」というのは、生きている人間が死を受け止めるためにすることであって、死んだ人間のためにすることではない。

つまり特別なことを何もしないことが、私なりの「供養」だなと考えた。

私はこれからもきっかけがあれば彼のことを思い出すだろう。

まだ生きている他の友人と同じように。

そう考えると、結局は会えるか会えないかの違いなのだろうか。

まぁ、あまり深く考えても詮無いことかもしれないが。

「要するに」とすぐ言う人

しばらく掛り切りだった新規案件が、ようやく進行する目処が立った。

資料を作ったり、沖縄まで行ったり、いろいろしたが、まぁ私の仕事は同僚のサポートのようなもので、大したことはしていないと思っている。

どうやったら上層部に納得してもらえるか、そのためには資料の書き振りをどうすべきか、そんなことばかりである。

「この言葉は直接的だから避けたいけど、こういう意味のことは盛り込みたい」、「こういう要望が出たけど、それに対する回答がない。それを丸く表現するにはどうしたらいいか」、そんなあれこれに対するレトリックを準備するのがミッションのようになっていた。

私が「こう書けばいいんじゃないですか?」と言うたび、同僚は「なるほど!」と大袈裟に感心しながら資料を仕上げていく。

そんなあるとき、同僚から「朱天さん、こうやってみてもらえます?」と、自分の両掌を合わせて握るような仕草を見せられた。

その通りやってみせる。

「はぁ、なるほど。じゃあこれは?」と言って、今度は腕を組むよう促された。

そこで私はピンと来た。

「ああ、アレですね。右脳とか左脳とかいう奴」と言うと、「知ってましたか」と言って同僚は笑った。

その「アレ」というのは、コレである。

www.nimaigai.com

手の組み方や腕の組み方で、脳の使い方のクセがわかるという。

詳細はリンク先に譲る。

これで言えば、私はインプットは右脳、アウトプットは左脳タイプらしい。

感覚的に理解し、論理的に説明する。

そこから進んで性格判断じみたものになるとどうかと思うが、脳の使い方のクセという部分は面白いなと思った。

(科学的には関係ないらしいけども)

 

私の得意とすることに、「要約」がある。

相手の言いたいこと、書物に書いてある主張、起きている出来事の本質。

そういったものを言葉に表現し直すことが得意らしい。

私自身はあまりそれを強く意識していないが、言いたいことがうまく表現できないでいる人に「それは、こういうことでしょうか?」と助け船を出して感謝されたりするので、たぶん得意なのである。

だから会議だとか議論の場にいると重宝がられる。

様々な人の主張をまとめて、適当な落とし所を見つけるからである。

交通整理をするので、議論がスムーズに進む。

あと、何かを人に教えるのが上手だと言われる。

要点がまとまっていて、わかりやすいらしい。

 

なぜ要点をすぐに理解できるのかと言われても、自分ではわからない。

もともとそうなのかもしれないし、育った過程で得られた能力なのかもしれない。

そしてその理解した内容を論理的に説明する。

散らかった論理のパーツを組み立て直す。

目くらましになるような邪魔な装飾を排し、核心だけを切り分けて提示する。

言葉の使い方が巧みなのかもしれないし、ただの詭弁家なのかもしれない。

いずれにしても私にはそういう能力が備わっていて、それがたまたま上記の右脳とか左脳とかいうアレと符合していて面白いなと思ったのである。

 

まぁそんなことが得意らしいと言いながら、私はそれを生かすような何かをほとんどしていない。

かろうじて、こうして駄文を綴っている程度である。

まあそれも人生の数奇、合縁奇縁。

縁があればそれを生かすような仕事に就くかもしれないし、なければ雑文書きに勤しむだけかもしれない。

あれがやりたい、これがやりたい、という次元にはもうない。

求められれば現れて、用が済めば去っていく。

そんな人生で十分である。

 

さておき、詭弁家のお仕事がひと段落したと思ったら、今度はしばらく蔑ろにしていた会議資料の仕事が待っていた。

何やらどんどん話が大きくなっている、私には何のメリットもない面倒な話である。

まあこれも、求められれば何とやら。

夏休みまでもう一踏ん張りといきますか。

オシャレのきっかけ

同僚が最近ゾゾタウンを使ったという話をしていた。

何やら必要に迫られて買う洋服があり、それで利用してみたそうである。

思ったより安く目当てのものが買えたらしく、意外と良かったという話だった。

なんなら噂のゾゾスーツとかいう、着るだけで採寸してくれるものを試してみようかと言っていた。

私はファッションには興味がないが、あれは面白そうだなと思っていたので、ゾゾタウンに少し興味を持った。

安い買い物もできるなら、なお良い。

 

そんな話の流れでサイトを開いてみた。

開いた瞬間、たくさんの衣服が目に飛び込んでくる。

サイトのインターフェイスも可愛らしい。

試しにポロシャツで検索してみたら、様々な種類のそれらが大量に出てくる。

何かよくわからないけど、すごい。

そんな風に思った。

でも、見てても欲しいとは思わなかった。

というか、よく考えたら、今、服を欲しいと思っていない。

欲しいものがない。

満腹の状態でレストランのメニューを眺めるようなものである。

当たり前の話。

 

私は同僚に「なんかすごいですけど、いっぱい出てきすぎて、よくわからないですね」という、よくわからない感想を述べた。

なんともバカっぽい。

すると同僚から「朱天さんって、いつも服を買うとき、どうしてるんですか?」と聞かれた。

どうしてるって、ユニクロあたりに出かけて適当に選んでいる。

こんな服がいいという希望はないので、並んでいるものから消去法的に選ぶ。

最近は誕生日などに妻がプレゼントしてくれるので、それだけで間に合っている。

つまり自分ではほとんど買っていない。

もともと年に1,2回しか買わないし、なんなら10年以上前に買った服をいまだに着ていたりする。

 

そんな話をすると、同僚は「私も今はそんな感じですよ。こういうのって、着たい服がはっきりしてる人が使うものですよね」と言った。

それを聞いてふと疑問に思ったのだが、「着たい服」というのはどうやってわかるのだろう。

私の場合、ウィンドウショッピングでいいなと思うような服は、皆同じようなものである。

細身の体型に合うフィット感の高い服が好きなのである。

色は基本的にモノトーン。

だから同じような服ばかりクローゼットに並ぶ。

というか、同じような服をすでに持っているので買おうと思わない。

 

そんな話をすると同僚は「私は若いときはファッション雑誌とか見て、『こんな服がほしい!』と思って探したりしましたね」と教えてくれた。

ファッション雑誌!

なるほど、ファッション雑誌というのはそんな風に使うものなのかと、齢三十を過ぎて初めて知った。

私はファッション雑誌を見たことがない。

たまに美容室で席に着いたあと、美容師さんが目の前に並べてくれるのだが、見てもどうとも思わないので持て余してしまう。

なんでも、大学生とかは、そういう雑誌を見て「こんな格好をしたい!」と思ったりするらしい。

そういえば私は大学生の頃、どんな服装をしていたのか。

部活のジャージに下駄で授業に出ていた。

それ以外ならスポーツ用のTシャツに短パンである。

ファッション性の欠片もない。

一般的な大学生とは程遠い。

 

「そういうのって、誰が教えてくれるものなんですかね。ファッション雑誌を見るとか、そんな発想、普通に生きてたら持たないんじゃないですか?」

私は思わず、わけのわからないことを呟いていた。

いや、別にオシャレな大学生になりたかったとか、そういうわけではない。

でも、「オシャレはするもの」という考え方を、多くの人はどこで仕入れるのか純粋に疑問に思った。

同僚はそんな私の妄言にも真摯に回答してくれた。

「誰かに教えてもらうわけじゃなくて、自発的に見るようになるんじゃないですかね。やっぱりかっこ良く見られたいんじゃないですか?そうですね、ストレートに言えば、モテたいと思うからオシャレをする。オシャレの仕方がわからないからファッション雑誌を見る。そんな感じだと思いますよ。朱天さんの場合、そもそもモテたいと思ってないでしょ。だから必要なかったんだと思いますよ」

そこまで言われて納得した。

大袈裟に言えば、目から鱗が落ちる気分だった。

う~ん、なるほど。

 

私の周りには一風変わった人間が多いのだが、誤解を恐れずに言えば、同僚は私の周囲の人間の中では一般的な方である。

たまにそういう人たちと話していると、いかに自分の考え方が根っこの方からズレているか、ということを思い知らされる。

私はファッション雑誌を見る人というのは、服が好きな人が見るものだと思っていた。

私がゲームを好きなように、世の中には服を好きな人がいて、それらを眺めているだけで幸せな人がいるのだと思っていた。

いや、そういう人もいるのかもしれないが、ファッション雑誌というのはいわばオシャレの入り口みたいなものなんだなと理解した。

私はたぶんゾゾタウンは使わないだろうが、ゾゾタウンの話題を介して良い勉強ができた。

歳を重ねても、まだまだ知らないことはたくさんあるものである。